ずっと晴天が続いた。
だから、この数日の雨はなつかしい。
気温がなかなか上がらないというのもよかった。
さくらが長持ちした。
つい、桜となるとすぐに散るというイメージで寂しさが先に立つ。
でも、今年は結構長く続いていた。
でも、それでも、もう終わりだ。また来年の桜だよりを楽しみにする。
雨のしとしとという表現も私は好きだ。
ずっと晴天が続いた。
だから、この数日の雨はなつかしい。
気温がなかなか上がらないというのもよかった。
さくらが長持ちした。
つい、桜となるとすぐに散るというイメージで寂しさが先に立つ。
でも、今年は結構長く続いていた。
でも、それでも、もう終わりだ。また来年の桜だよりを楽しみにする。
雨のしとしとという表現も私は好きだ。
生きていると実感するのは、どんな時か。
ああ、生きている。そこに主語の俺があれば、たしかにそのひとはそう思っているなと分かる。
いのちは持続しているかぎり、生きているということだろう。
いのちが停止するの意味はなんだろうか。
もちろん、死である。機能停止である。
ヒトはだから、魂は生きてるとかいう。
どこにいきているのかというと、残っている人たちでしかありえない。
もともとの魂の持ち主は機能停止しているのだから、保持しているとはだれも言えない。
他者のこころに記憶として当分のあいだは残るということが「魂」ということだろうか。
しかし、残されたものにも常に持ち歩くのは少々、しんどいから、位牌を仏壇に飾ることで、盆暮れに、死亡した日に思い出すことになっている。
いつしか、忘れ去られる。
人類の紀元後の年数は2023年でしかない。紀元前もいれてもどうだろうか、一万年ぐらいのものか。
後は、遺跡にある足跡であろう。
今の技術で心配なのは、そういうものがどこに蓄積されて残っていくのかである。
多分、廃棄物、いわゆるごみ処理場ではないのか。
貝塚とかいうのは古代のごみ処理場である。
だから、太陽系のゴミ置き場はどうなっていくのかに興味がある。
人工衛星が月と同じように残るのか、それとも主となる星に吸収されてどんどんと大きいもに巻き込まれて、最後はブラックホールの中へと没入して、吐き出されて新たな星へと生まれ変わるのかもしれない。
こうやって徒然なるがままに記したものは、どこかへ、どんな保存方法をとっても消滅してしまう。
いのちの要素はだから、単純簡潔なものになっているのだろう・・・。
大相撲の厳しさは、ケガの多さからも想像できる。
もちろん、ケガはないほうがいいのだが、どうしてもぶっつけあいのスポーツでは回避できない。
そのために、稽古を積んでいる。
そして、ぶつかり合う。
今場所は熱海富士関の奮闘がすごく印象的であった。
千秋楽の朝の山戦は、見ごたえのあるものだった。
二人がもうすぐ横綱の東西に座り、千秋楽に胸をあわせてぶつかりあう様子が目に浮かんできた。
静岡駿河の地からの優勝は今回は叶わなかった・・・のが残念である。
奮闘をみて良しとしよう・・・。
南と言ってもいろいろだよね。
そうだな。
ソロモン諸島は第二次大戦で日本軍が敗北し、多くの戦死者がでたところだ。
首都ホニアラの山には日米の石碑が少し離れて建っている。
そんな遠いところへ若い兵隊がつれていかれたのだ。
何をおもい、何を口にして潰えたのだろうか。無念さか。
それとも南の空に何か別のものをみたのだろうか。
とても悲しい気がする。
今、中国の餌食になろうとしている・・・。
これからの世の中はどうなるか。
Aiに聞いてみるってことになるのだろうか。
お前、どこのAIで作ったのか、教えろよ。
そんなことが当たり前になる。
つまり、レベルが決まっていて、ランク付けが使うAIで決定されるのだ。
独自性を強調したもの、特徴が際立つものは、その基本的ないびつさが受けるようになる。
選挙の候補者選びも、AI次第になるのではないか。
ほとんどのヒトの機能を放棄してしまう事態にたどり着くには、シンギュラリティといわれる段階になれば、すぐに起こりうる話だろう。
そんなことが行われないということ、起きやしないという保証をでっち上げながら、世の中は急激に変化する。
ヒトの知能はもう不要だと、だれかが判断すれば、そこで人類はどこへいくのか。
消滅というシナリオがある。
ずっと言われ続けている自滅というものだ。
どうにも悲惨は結果を招く未来しか想像できないのは、現実に終わらない戦争のさなかに地球はおおわれているからだ。
優秀な頭脳は、どこにつかわれているのだろうか。
騙し合いのスパイ諜報合戦へと使われているようだ。
どんな反応を示すか・・・。今は、西暦3000年だ。
さて、次はどんな形で復帰するのか。
普通の人ならば、もう十分に果たした夢の世界でしかない。
もうこれ以上、何を目指すのか。
日本人で初めてとか、だれだれを抜いたとかの比較相手が、メジャーのスターたちなのだ。
これでももし日本に今帰ってきて、日本チームで出たらどうなるのだろうか。
そんな選択は、だれも考えないのだろうか。
日本でプレーしてもらいたい。私はそう思っている。
米国の優秀な選手たちが、日本へと集まってくる。
大谷選手がいれば、きっとそうなるのではないか。
・・・いろいろなユメをみるのは自由だ・・・。
だれかが懸命にやってきたのだ。
そしてついに海洋に放出できる道筋を切り拓いたのだ。
たしかにリスクばかりである。
ああいわれて、こういわれても反論するものではない。
常に状況が変わるこの世の中で、気に要らぬ相手にはいじわるをする。
当然のことかもしてない。
お前、何やってんだと言わずに攻撃されたりするのかもしれない。
世界の中で弱みをもつとどうなるか。
とても苦しい状況に追い込まれる。
しかし、だれかが、当事者しかいないのだが、そこに専従して弱点を減らしていくしかない。
枠組みを作り、その中で協調して真摯に取り組んでいるのは、結構なことである。
そして、いつどんなエラーがでないとも限らない。いや、ヒューマンエラーは必ずでてくる。
だから、そういうことへの対応が難しい。
あるはずがないではなく、頭の中でだれかが考えつくことは、いつかどこかで必ず起きるという前提で対処する。
みんなわかっている。現実は厳しいという。現実には間違いもある。
うまくやす必要はない。意図的にどうのこうのではない。
ちゃんとした手続きでさらに安全をたしかめながらコツコツとやり抜くしかない。
地球の見える化だろうか。
地球表面の雨雲の様子がすべて見えるのだ。
そこに上空数千メートルまでの寒気、冷気、暖気などを重ね合わせて気流の動きを見ているらしい。
そんなことがいとも簡単に可能なのが今の世の中らしい。
複雑なメカニズムを知れば、それが壊れることも想像できる。
だから、そこにはこれからの地球の姿とそこに棲む動植物の生きざまが重なる。
ヒトは個々が生きている間にどう過ごすかだけでしかないのだ。
いくつの台風を経験しても、そこに逃れる答えは見つからない。
台風は気流の動きであり、地球上の動植物の生態環境に影響する。
普段は欠かせないものとしてであり、災害という大きな自然現象もその一部なのだ。
しかし、ヒトはなにか誤解や勘違いをしているようだ。
地球温暖化なんていうのは、ヒトの数が80億近くに増大したから起きているのではないか。
経済成長はなぜ指標になっているのか。
それこそがおかしいのではないか。
みんな気づいているが、他国の勢力増加は許せない・・・。
変な競争ぐせは生まれつきンおものらしい。
だから戦はなくならない。
終戦の日だ。靖国神社にこの国のトップはいかない。
だれも望んでもいない。戦争をするためにみんな生きているような錯覚に陥るのは我一人なのだろうか。
日々、すべてを覚悟しつつ生きている。
現実は全て正しいとひとはいう・・・。
短所を理由にして敗北を説明する必要がなくなった。
ここが、日本の女子スポーツの最近の急激な進歩のもとになっている。
身丈が小さい、体格が劣るなんていう理由はだれも使わなくなった。
強い。その強さがちょっと足りないというぐらいの差である。
そしてチーム力はそういう個性の組合せのうまさで出されるようだ。
そこが、今回のWCの見どころだったし、女子サッカーの今後の光に繋がっている気がする。
よくやった、久しぶりにワクワクした。ありがとう。
難しい。暑いと言えばなんどでも続いてしまう。
涼しいとなると、もう終わりかとさみしくなる。
それで、どうするのってなる。
どうもしないし、なんともならない。
夏をどう過ごすかなんて、もうどうでもいいことなのだ。
あんなに楽しみだった夏休みも今はもう昔っていう感じだもんね。
悩みもしないおのれになんとも言えない。
二律背反ということらしい。
元々、日本ではあまり使わないトレードという言葉が実は世界では大手を振っているのだ。
できるかどうかがまず問われる。
そこでトレードってなんですかなんて問うたら、アホと言われそうだ。
それでも勇気をだしてトレードオフってなんですか、ちっともわかりません。
聞いたことがないのです・・・。
M&AとかMBOとかも同じだ。
どうもトレードに関係しているらしい。
これらもそうなのだ。
様々な場面で取引が行われる。
それはビジネスということでいいのかな・・・ってところまでは分ってきた気がする。
でも、こんなニュアンスの本当の意味を子供のころから当たり前にきいて育ったのならば、頭の中に当然のこととして存在していたはずであろうか。
オフがあればオンもある。
アウトもあればセーフもきっとあるはずだ。
最近のコメント