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格好をつける

あいつ格好つけやがって!そんな感覚が子供のころにあった。そしてそういうものを私は実態のないものだと思っていた。だから、見かけを気にしないという生き方、スタイルに興味を抱いてきた。

そこで、いいなあ。あんな生き方はいいな。そう私が感じたことが、実際にはそういう演出がされていた結果であり、まさに実態のないものだと言わざるを得ない状況がでてきた。一番避けたいことが、実はつながっていたのだ。

世の中にはこんなことがある。いっぱいあるらしい。そして自分らしく生きるということが、実は自分に嘘をつくことになることを知ることになる。では、どうしたらいいんんだ。そんなに悩む必要もない。自分の考えの中で逡巡しているものがあり、どんなことでもPDCAのサイクルを通りぬけるには、いろいろな思いがあり、失望もあり、失敗もあり、そして成果が必ずある。だいたい、考えたことが実現する方が少ないのだ。採用されるとか、自分の計画が実現することの方が少ないのだ。そういう中で、先輩諸氏の言葉の中に、何か昔は嘘っぽいと思っていたことが、実は本気だったのだということを知ることもある。

格好をつけるのは、考え自体は見えないので、自分で何かを認識するためにやるサインではないのか。本当はもうひとつの意味がある。

田舎で生まれたものは、田舎の人のままでいる。言葉もそのまま使う。ありのままというのが掟のようなもので、私もそういう生き方を夢に見て尊重してきた。しかし、できなかった。知らないうちに、どこで生まれたのかわからないような生活のスタイルになっていた。

たしかに、何か特徴を出そうとすると無理がある。そして、隠そうとするとその特徴が出てくる。そういうのが恥ずかしいと思うと、さらに出てくる。もうそれからは恥の上塗りでしかない。でも、どうしてそこにこだわるのか。田舎者はそれでいい。都会で生まれた人がうらやむ自然な生活の中で育ってきたのだ。それだけで十分に貴重な体験だ。そこに生まれなければできないことが、その人に与えられるのだ。それは都会の下町で育つことも人間社会の自然な形の典型的なものであり、その人の宝だろう。私たちはみんながそれぞれの体験で他人が経験できないものをもっている。

そういう私たちがるつぼの中で掻き回されて自分のスタイルを忘れるとか、他の人たちのものをまねするとかいうのも自然である。自分と違うスタイルがある。それを真似することが実は私が子供のころ抱いていた「格好をつける」というものらしい。それはそれでいいではないか。でも自分のスタイルがないうちに、他のまねをしてしまうのは、決して推奨できない。中途半端な人間になってしまうのではないかと私は心配してしまうからである。

しかし、世の中は変わる。標準とか基準とかいうものが変わる。いままで普通の善良な人が悪人になり罪人になり処刑されるというのは極端だが、いままで悪人が善人とみなされることもある。復権するならいいが、それがパラダイムシフトという劇的な変化なら、みんなそれに従わないと生きていけない。

時代に合わない人がいままで大勢いたのではないか。原始時代なら、すごい英雄になっていたというような人もいるだろうし、数百年後の科学全盛の時代でしか生きられないような人もいるのではないか。その時に活躍する場がなくとも、それは次の時に再度やり直せばいいだろう。そんなときがあるのかは知らないが、望めば開けてくるのではないか。

決して格好をつけるだけではなく、今はそういうレベルでも、いつか自分のものにするという意思を貫くことで、そこに新たな意味が生まれてくると私は信じている。

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