苦手なもの
決して嫌いではない。ただ苦手なだけである。
音楽がそれである。楽譜が読めない。楽器がうまく扱えない。そんな劣等感がどうしてもあったようだ。ブラスバンドの格好よさ、あんなに楽器が簡単に操れる人たちは天才だと信じていた。
NHK管弦楽団の団員が中学で演奏してくれたことがある。もうその時はみんなの目があこがれの目になっていたのを思い出す。それだけ、そういう才能の全くない己を情けないとおもいつつ、音楽という学科はすきではなかった。でも苦手ということだと思い直した。音楽そのものはいいものだ。小さい頃にきいた演歌、流行歌は身にしみついている。そして今の音楽も慣れてきたせいか悪いとは思わない。
でも苦手意識は治らない。それでピアノを弾きたいとか・・・そういうのも躊躇する。ラジオ体操の歌、新しい朝、希望の朝・・・。のど自慢の歌・・・。こういうのはいわゆる生活の中に入り込んでいるので、なぜとかいう疑問符はでてこない。
一度、パソコンがまだマイコンといわれていた頃、それで作曲をしようとしたことがある。時代が変われば、表現方法としての音楽はいろいろな効果を私たちに与えてくれるものと期待できる。とくに、心に働きかける波動としてみると何かスポーツの兄弟のようなものかもしれないと思う。筋肉の運動として脳に作用する。感覚は身体の筋肉の一部でもあり、そこから音楽を感じている。波動なのだから、音楽というものを違う視点にみればそこに展望も変わったものになる。
この世の中は波が支配している。音波であり、電磁波であり、何かが振るえることで情報が伝わる。感情も波動で伝わる。目に見えるものも耳に聞こえる者も波動である。それを受取るための機能が身体に備わっていて、理解し受け止める心が脳の中に埋め込まれている。
たぶん、そんなことを苦手と思ったときに考えていれば、少しは変わったのかもしれない。楽しみ方は苦手意識とは関係ないようだ。
苦手だと感じるほど、興味を抱いていたのだ。いいものは良いと素直に思うようにいつかはなる。自然な流れに任せるのがいい。
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