お笑い芸人
エンターテイナーというのが正しいだろう。私の認識が違っていたようだ。お笑い芸人は、無職の吹きだまりというような印象をずっともっていた。しかし、最近よく売れている男性のスターお笑い芸人は違うようだ。
どちらかというとエリートという流れにいるのかもしれない。機転が利く。利口だということでもある。自分で選んだ人たちがほとんどである。流行を敏感に感じて、自分の感性を信じて下積みをする。そんな徒弟制度のような中で、自分の道を選んだ人たちである。もちろん一握りの人がスターになるのだろう。でも、何か私の抱いていたイメージとは全く違う人たちがいまいるようだ。昔ながらの考えではない新しい意志の持ち主とでもいうのだろうか。
才能があるということは素晴らしいことだ。役者にもなれる。いろいろなことができる。たしかに今の世の中で必要な職業で、もっとも影響力のある仕事かもしれない。政治家にもビジネスにも何でもなれる下地を彼らは学んでいるのだ。そう考えると、普通の学校で学ぶことはいかにもきまりきったものにしか見えない。自分で道を切りひらくことはもちろんであるが、徒弟制度的な中で仕事を得ていく過程ができつつあるようだ。
発表の場も、公平である。客観的であり、基準も単純明快である。面白いかどうかの判定基準。それも大衆の気持ちをつかんでいるかどうかによる。子どもからお年寄りまで・・・。
極めて幅広い。どこにターゲットを絞るのか。その辺も問題になろうし、課題として何を取り上げるかが大きな分かれ道になる。まったく政治家と同じではないか。大統領に俳優がなる。私はそんなバカなと考えていたが、それはまさに大衆の心をどう読むかということにつながっているようだ。
これからは笑顔の中に、またアホを演じている顔の中に何かきらっと光るものが見えないようなさらに高等な演技が要求されるのではないか。天然ボケというのは本当のアホという意味なのだが、はたして演技なのかどうかわからない。
しかし、いい映画でいい役をこなしているお笑い芸人をみると、かれらのアホさは利口さにしか見えない。そこからいろいろとこの社会のことを考えていこうという人たちがでてくるのは当然かもしれない。
地球温暖化、戦争回避、平和構築。地域紛争の除去。地雷などの兵器開発をやめる・・・、すべてお笑い芸人が望むものではないだろう。ということは、お笑い芸がこの世の中を席巻できるような社会がいい世の中だということであろう。そうではないだろうか。
こんなことを想うのは私だけではないはずである。
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