生きることはしぬことだ。しぬために生きる。だから、生きることはしぬことと同じだ。生活しているのは毎日の繰り返しである。そこに人生があり、生き方があり、ヒトとしての考え方もある。
日々、多くの人たちが生活している社会で、私たちはいろんなことをしているようで、あまり大したことはしていない。この世に生まれたからには、文化とか芸術とかいうものと接するような生活をしたい・・・、と思うと、そんなことは自分には関係ない・・・、と思う。毎日、食べて寝て仕事しているだけだから・・・、と思う。
だから文化や芸術に関係あるのではないか。今の私たち一人一人の生活が文化であり、芸術なのではないか。
知らない土地がこの地球にはいっぱいある。同じヒトが同じように日々衣食住の生活をしているのだが、微妙に違う。同じ人間で同じDNAを持ち、同じように一生を過ごす。それが人類の文化であろう。そこで、たっとばれている才能が芸術ではないか。人々の生活にうるおいを与えるものが本来の文化や芸術なのだろうが、いろいろなことが分化して多様な形を持っている。
魔女狩り。十字軍。宗教上の軋轢。戦争。平和。
私たちはいろいろなものを背負って生きている。みんなが同じものを望んでいるとは限らない。ほとんどの人はみんなの幸せを願っているけれども、そうならない人もいる。実は同じなのだが、個々の命がそこにかかってくるとすべてが正当化されてしまうようだ。つまり、正義がいくつもできる。それは、自分の属するグループの幸せを願うものであり、それには他のグループの存在が邪魔だという。どうして私たちという形で同じ人類グループなのだと理解できないのだろうか。同じ人類なのに皮膚の色が違うとか、顔かたちが違うとか、いろんな理由をつけて、戦いの場を作ってきた歴史がある。
ヒトの心は時空を駆け巡るものだと、私は思う。そんな素晴らしいものをこの人類は一人一人が持っているのだ。そこから、やはり素晴らしい文化や芸術が生まれないはずはない。でも、正当化するだけの理屈が多いのはとても残念だ。
人はヒトの上にヒトを作らず・・・・・・、という言葉が何かうすらざむい感覚をもたらすのは、いいことではない。
本当にそうだと言える言論の自由が大切だ。日々の生活で自由に物事を考えて、自由に発想していくことが大事だ。でも、そうはならない。みんなが理解しているのに、誤解していたり、勘違いしていたり、頓着してなかったり、実にいろいろなことがすべてこの世にはある。頭の中で、これはちょっと恥ずかしいとか、愚か過ぎるとか、子供っぽいとか、まさかないだろうとか、想像できることはすべて実際の世の中で起こっている。悪い方のことがそうなるように思う。いい方のことも同じなのだろうが、なかなか当たり前すぎて評価されない。だからいつまでも戦争はなくならない。火種を作ることに意味を感じている人が多すぎる。
ヒトはみな平等だという。みんな理解している。でも差別する。平気で個々に特例を許してしまう。みんな自分は特別だと考えているからだろう。自分もほかの人と同じように日々の生活をしている。
だが、理解できないことが一つある。
それはみんな同じだろうが、どうして自分は自分なのか。そういうことではないか。どうして、自分が他人ではないのか。ここで自己を認識している自分がどうして、そんなことを考えているのか。日々の生活で楽しくやるには、とても大きな迷路のようであり、それこそ時空の中で翻弄されてしまうような感覚に陥ってしまう。そんなとき、何かランドマークがあるといい。
誰もが同じ生活をしている。生きている以上は人体の仕組みにしたがって食事を摂り、寝ることで頭と体を回復させてある一定の期間、生きているのだ。生きる活動をしている。生活するってことは、やはりかなり大変なことだ。
いろんな疑問を解き明かすことができるかもしれない。それは何の役に立つのかわからないが、自分の疑問に答えるだけの価値はあるだろう。でも他の人が、真に理解してくれるかどうかはわからない。単に相槌をうっているだけかもしれない。何か深淵に落とし込まれそうな気持になる。もう這い上がれないかもしれない。そんな焦りもある。そして深淵に落ちていくなら、それは這い上がる必要もないかもしれない。そこに別の新しい生活があるかもしれない。どうして這い上がることだけを考えてしまうのだろうか。進むということが大事であり、未知の時空間がこころにはいっぱいあるはずだ。
でもそこへ進んでいくには、ランドマークをしっかりと心に刻んで、一歩一歩・・・。もうもどってくる必要がないのは、ヒトとしておかしい。現実を大事にして、そこを出発点にして、いろいろな活動を行うべきだ。
この社会で生活していることは楽しい。
私は真にそう考えている。時の首相が批判されていても、いろんなアイデアを出す地方の知事がいても、この世の中はガソリンがリットル25円安くなるという束の間の現実がそこに来ているようだ。ためしにガソリンを給油してみようか。そんな程度でしかない。ちゃんと生活するにはどうしたらいいだろう。
ちゃんと生活するには、自己を忘れることではないだろうか。解けない疑問を抱えているのはほんの一瞬だけでいい。自分はほとんどは他人になっている。他人の自分というのと、本当の自分がある。それをときどき取り違えるのは私だけだろうか。取り違えるとどうも迷うようだ。心に迷いを生むのはそういう時だ。たぶんそんなときが生きているという感覚をしるのではないか。
もう忘れよう。他人の自分に戻ろう。いつかまた会う日までそうしよう。ではまた・・・。