考え方というアクセサリー
ブログを書くのはなんのため。そんなことを考えたこともなかった。
私は文章を手書きでずっと書いてきた。朝の10分から20分ぐらいを充てていた。出勤前の忙しい時間なのだが、その5分がとてもいいのだ。それでどれだけ書けるかを競う。手書きだから、漢字の誤りやうすら覚えのものもある。その点、パソコンは変換を注意すればいいのでらくだ。でも頭の中は同じプロセスが要求されるようだ。
ブログは何か考え方を整理するとか、自分の主張をそこに表現したいときにかなり重要になると私は考えている。それは、急に言われてもできないことである。手書きであろうが、この自分の頭の中にそういう構想がなければ書けないのだ。ブログに対する心構えというよりも、自己主張のための練習という位置づけだ。そこに何も求めないし、ひとつひとつを丁寧にやっているという感じなのだが、わかってもらえるだろうか。
考え方というスタイル。スタイルオブウェイオブティンキング(SWOT)とでも言おうか。そういうものをひとつの表現手段としてもちたい。そう私は考えている。それは人生における自分のブランドとかそこまでいかなくとも、腕時計や指輪、服装などと同じようなアクセサリーのようなものだ。
考え方というアクセサリーの開発もある。今は借り物だ。それらは、ハーバード流交渉術だったり、マインドマップだったり、フォトリーディングだったりする。そういうものを身につけて自分のものにするには、やはり時間と経験が必要だ。ブログは私にとってそういう試練の場でありとても大切なものだ。
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