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とうきょうの顔色

東京の顔色をみたことがあるだろうか。地方にいるとよく見えるのだが、そこにいくと全く見えなくなる。どうしてだろう。それは、本当は顔がないのだ。

みんなが昔、あこがれた街はそこにあった。そこにいくにはもうひとつ小さい地方の中心都市へいって、山登りの時の気圧への順応のようなステップを踏むのが良いとされていたらしい。すぐにいくとカルチャーショックを受けるからというのがその理由だ。

田舎くささそのものの坊主頭の少年が東京へいくのだ。もうひとつの地方都市でも田舎そのものに違いない。そこであきらめる子もいたのではないだろうか。やはり田舎がいいと言ったかどうかはわからない。たぶん言わないだろうが、心の中で何か違和感を感じたのではないだろうか。

とうきょうはいろいろな顔をしている。いろんな人がいる。みんな遠くから通勤してくる。どうして集中するのだろうか。負けたくないというようなことだろうか。ヒトの多く集まるところにはそれだけ競争も激しい。激しい中でもまれないと大成しないという負けず嫌いがみんなの心に作用しているのであろう。私も同じようなものだ。

それでも、住むとどこもいいところになる。小さな船でも長期間航海すると、船のおもてにいったりともにきたり、時に機関室をのぞいたりする。そうすると狭い船内でも気晴らしができる。だから、あまり精神的にくたばることはない。

とうきょうの顔色は、どんな時に見えるだろうか。ヒトの血流が道路を流れて、情報が錯綜し、モノが大量にあふれている。だから魅力的なのだろうか。いっぱい流れていることは顔色もいいに違いない。でも、顔がどこにあるのかよくわからない。想像するだけである。

何か大きなイベントをやると顔が見えるのかもしれない。東京オリンピックの時は確かに顔が見えていた気がする。今度のオリンピックは東京に来るのだろうか。そうなればまた見えるかもしれない。

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