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ぶうふうううの家たち

子供番組でブーフーウーという3匹の兄弟こぶたの話があった。そこで性格が違っていて、その差がかれらの住宅の違いになっているというものであった。

今、思い返すと確かにそんな気もする。当たらなくとも遠からずということだ。そして、日本の住宅事情を分かっていなかったのではないかという気もする。とにかく住むところを確保する。それは賃貸であろうが持家であろうが、両親と一緒でない子供は自分で調達するしかない。それで、どうするかといえば経済性重視でしかない。資金が許す範囲でしかできない。性格も何もない。そんな風に私は考えてきた。

最近の住宅建設状況をみると、ずいぶん変化しているようだ。りっぱな住宅が多い。ブーフーウーの性格の違いはまったくそこには影響しないような感じを受ける。それでいいのだが、空間の利用技術が向上したのだろうか。医業の経済性追及は、お客様の居住性に対する要求を抜きにしては語れないところに来たのだろうか。コストパーフォーマンスが顧客のニーズに適合する技術レベルになったのだろうか。

夢のような長い返済期間だと思っていたが、何か30年というのはあっと言う間のように今は感じる。

子どもの頃の感覚が今でもはっきりと蘇るのは、やはり社会全体が戦後で貧しかったからではないか。金の卵といわれた義務教育終了後の子供たち、みんなそういうところでギリギリの決断をして大きくなってきたのだ。戦後の子供たちの数は社会のパワーとなって爆発もした。それは、ほんとうに行き場所のない夢のような破れかぶれの風潮が礼節を重んじる社会の中で反抗したものだった。

機動隊の同年代の青年たちが一日4000円の食事をしているときに、貧乏学生は学生寮の1日150円のごはんをありがたく感謝しながらいただいていた。米どころの生まれの私にとって、外米はまるでゴムのまるめたようなものにしか見えなかった。それにもなれて、先に入っている先輩たちのいじめにも耐えて、浅はかにも同じようなことをしようと考えていたら、そういう古い習慣はもうなくなっていた上級生時代だった。

変化は同世代の子供の数に大きく左右される。大人になっても、群衆の中でうごめいている自分をどうすることもできないそんな存在だった。何かをくいしばって、マケタマ・ヤラタマ(これらは、浅田次郎の小説にある負けてたまるか、やられてためるか・・・という意味だ)と心で叫んでいたような気がする。

それも今はもうない。何かすべての気力を無くしてしまったような気がする。そして、やっと自由になれたという風にも思う。まったく今まで感じたこともない表現のしようのないものだ。そしてそういう開放感とは別にやりたいことが山ほどあることに気づいた。生きるためにある種の戦いをしていた時代とは違うものがある。この社会にはもっともっと大事なものがある。働く世代でもっと多様な心の動きを生かせれば、・・・。そして想った。

今、ブーフーウーの家を自分で作るなら、どんなものにするだろうか。住まいはその人の性格・人格などを反映するなら・・・。そこまでいうと、やはり同じような家を私は建てるだろう。小さくて、壊れてもまたすぐに修理するとか新しく建てなおせるような家だ。

でも、もうひとつ自分の棲めるものがほしい・・・。それも普通のものでいいのだ・・・。

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