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悪いイメージ

かけごと。悪いイメージの代表である。何が悪いといっても、だらしのないばくち打ちみたいな存在はみんないやだと思うだろう。

でも世の中にはいいイメージの同じ人たちもいる。まったく正反対に位置する人たちが同じ能力をもっていることはよくあることだ。でも、たとえば警察と犯罪者なんて似ている。警察官が犯罪者にもなる。もちろん一般のヒトも同じだ。

やくざと警察。これはどうなのだろうか。警察官がやくざになることはある。そしてそれがいいやくざになることもあるのではないか。やくざが警官になる。あまりない。でももしあったらとてもいい警官になると確信できる。

でもだれもならない。そんな堅苦しいところはいやだ。そう思うに違いない。自分でなりたいものになる。自分でやりたいことをやる。そういうことが、もしなかったらどうするのか。とても簡単だ。なにもしない。そういうことでもいいのではないか。

世の中は悩みが多い。そういうときに本当はあまり悩んでいない。悩むより早くなにかを見つける。自分がくよくよしているあいだに、このどこかでもう次のことに動いている。だれがそんなことをしているんだ。それが自分だったりする。まあ自分以外はないのだから、自分でやっているのだ。悪いイメージは良いイメージの対極にある。だからなければいいイメージもこの世に存在できない。普通のイメージの対極が決して良いイメージではないのだ。

イメージってなんだ。ギャンブル。でも多いようなのだ。好きな人が多い。公共でギャンブルを奨励している。それが現実だ。そこに雇用もある。ちょっと後ろめたいが、愛好者は無限である。悪いイメージは、楽しんではいるが、もしは目をはずしてしまったら、いや、足を外してしまったらということが原因だろう。過去にいっぱいそういう夢を見た人がいて周囲のお母さんや、叔母さんや、親戚知人に迷惑をかけたことがあるのだろう。どこにでもあるのだ。そんな話があるのだ。

健全な娯楽としてのギャンブルもあるだろう。のめりこまない。誘わない。競争意識を持たない。そんなことだろうか。そして、あまり儲けないことだろう。普通に損をする。あてないことだろう。

でも、もし宝くじが当たってしまったら、どうする。もうそこで人生は終わりになるだろう。もうそこからは自分の自律性とか自立とかいうのはなくなるだろう。そんな人生を公共機関が公益のために奨励している。でもどこか間違っていないのか。

悪いイメージはいつまでも心の中に、社会全体として戦争と同じように保持していかなければいけないものだろう。悪いイメージもそうなれば、少しはいい働きをしていることになる。私は何か悪さに対して同情的になっているようだ。こんなことを今日はどうしてイメージしたのだろうか。何か、悪いイメージが残っている・・・ようだ。

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