マス・ジェネ
マス・ジェネ。これって何だろう。実は団塊の世代のことだ。
この団塊の世代の人たちは今サーフィンに夢中になっているという。やりたいときにやる。なんて気づかいのいい人たちなんだろうか。それは、実はどうしようもない一本道だったのだ。義務教育を終える。金の卵になるヒトがいっぱいいたのだ。
そこには、自分の趣味とか、自己主張とか言う前の大事なものがあった。家族の生活だ。自立することと支援することの両方の意義があった。自分だけではない。そして自分が自立することを起点として家族の生活に役立つ・・・。そんな殊勝なことをいつも考えていたわけではないが、どうしようもない現実だった。
逃避という世紀末不安などを悪用した噂も流れたりした。そんなことはあり得ない話だ。でも今団塊といわれるように、そのエネルギーは人数かける不満・意欲などのパワーとなっていろいろな形で噴出した。大多数は、周囲のために自分というものを制御して生きてきたのだと私は思う。
団塊の世代はマスコミとか、メートル法とか、ICTとか、学生紛争とか、競争の中で自分の生きがいをみつけようともがいてきたのだろう。尊敬する先生をバカ呼ばわりしたり、革命家を気取って社会を不安に陥れようとたくらんでいるものもいたのだ。そして、それがそのまま人生になった人もいるし、りっぱな公務員とか社会人になっているヒトもいっぱいいる。
そんな社会が実は自分たちの現実の社会なのだし、そこで何があろうとも、生きることの楽しさ、嬉しさを感じていける唯一の時空社会なのだ。マス・ジェネレーションはWWIIの世界の刻んだカーブとなってずっとその爪痕をのこすことになる。それは何かの塊そのものかもしれない。単なるその世代だけの問題ではない。ひとつの傷痕としてみなければいけないのではないか。私はそう考える。
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