どこへ行っても、地域経済の振興促進がテーマになっている。
とくに、商店街は活気がない。どうしてだろうか。あの勢いはもう数十年前のことだったのか。夜は、早く帰るように11時に終わるように条例ができたりした。それが、今はだれも街に出てこない。
みんな廃れたところには足を運ばない。危ないからだ。ひとが大勢いるところへと集まるのは自然の習性だ。
いろいろなことが対策としてある。そしていろいろな取り組みが行われている。ここで注目すべきは、同じことをやっても成功と失敗がある。地域の差か、それともヒトの差か。それは両方だろう。ひとに焦点を絞る。地域は人間の住む空間であり、そこで生きる。そのために必要なものは、仲間だ。仲間の集まるところ。それがヒントだ。
私の商売は魚にかかわるものだ。それは魚とひとを主役にしたものだ。主役はそこで何をするのか。演出が必要だ。他の役者もちがう視点でみれば、大きな役割を持っている。大切なのは、そこに力を集約することだ。
ひとが住める街。ひとが子供を育てる町。ひとが遊ぶ町。そんな地域がみんなの心をつかむのではないか。あんなに廃れていたところが、こんなに変わった。あんなにしょぼくれていたひとがそんなに活気にあふれてうれしそうにしている。私たちはイメージを膨らませることで、この世の中をありのままに知ることができる。
災害もある。そこから立ち上がるシナリオもいる。いろんな場面がある。どんなケースでも体験することには学びがある。自分では望まないマイナスの場面も数多く人生にはある。そういうものも、大切なかけがえのない経験である。そういう類似の体験をしない人たちに自分の経験したことをありのままに伝えることで、なにかを発見できる。
そんないろいろな発見が実は、どんなひとにもどんな場面にもある。どうしようもない状態は普段結構あるが、決して好きな状況ではない。いやだ。でも仕方がない。そこに、ここにあるのだ。どうする・・・。なんとかしなくては・・・。
つい焦る。焦ることもあまり自分ではやらない。やれない。そういう状況で条件が迫ってこなければそうならない。パニックなのだ。そういうのも嫌だ。でもなるのは人なら少しも不思議ではない。
地域の活性化も同じではないか。悪くなることを想定しては進めない計画だ。それが基本だ。すべてうまくいくという見通しを検証して進む。そして結果がでる。同じことをしても成果はちがう。何が違うのか。条件か。主役たちのイメージがちがうのだと私は思う。
なぜ・・・。それは、主役、つまり地域住民がそうなのだが、観光なら訪ねていくるお客様を主役にすることだ。農業や漁業なら食べ物をおいしく消費者に提供することだ。安全安心な食糧を収穫し提供する。それは、主役がそこにいる。主役をそれを必要としている人たちだ。
そんな地域があったら、みんなそこに行きたいと思うだろう。利害関係から健康を損ねることもある。地域を支える企業は、ときに主役を勘違いしたことを覚えているだろうか。どっちが先かは、先住民が先にいる。企業があってひとがきたのではない。ひとがいるから企業がきたのだ。そこを公害の汚れた街にしていいのだろうか。先住民は何も言わない。息子が雇われているから・・・。そこから出る廃液は海を汚し、そこに棲む生物に危害をあたえる。それを先住民がたべる。
とてもおろかなことをしてきた。もっとだれかがそこに気づくべきではないか。今、専門家だけが増えている。マスコミはスクープをとるのが生きがい。サラリーマンは自分の一日の仕事をなんなくこなすのが生きがい。地域のことをだれも考えない。だれもやらない仕事はどんなヒトがやるのだろうか。
主役は、もっともっといっぱいいる力のない人たちかもしれない。地域を元気にしていくには、ありのままの姿を受け入れてそこから、新たなものを見つけていくことではないか。地域の活性化は知らぬうちにやってきて、また去っていく。そして、またやってくる。本当の主役がいる限り、またやってくる・・・。