普通のひとと芸能人のちがい
普通の人になりたい。普通の女の子に戻りたい。そういったのはキャンディーズだ。すごい人気があった。寝る時間なんてなかったのではないか。
解散したら事務所が困る。芸能人はみんなそんなことで悩んでいるのではないか。それとも普通の人のまんまで芸能人をやっているから、戻る必要もないかも・・・。そんなひとも稀にはいそうだ。
日々の生活はちがうのか。寝る時間はあるのか。眠るのか。酒を飲んでばかりいるのではないか。怒りっぽいひとがおおいのではないか。見栄っ張りな人がおおいのではないか。いろんな性格の人がいるだろう。なんら違いはないだろう。
でも違うだろう。大きく違うだろう。
それはもって生まれた才能がちがう。そうではないか。努力だけでは芸能人にはなれない。人前にでることが芸能人だろうか。そうではない。タレントは才能という意味だし、・・・。文化人かもしれない。有識者かもしれない。
自分の意識をもつことがその分かれ目ではないか。普通のひとでいたい。そう普通のひとが願っているのを聴いたことがあるか。芸能人は一度やったらやめられないのではないか。時代はどんどん変わる。それは、すごく早い。そして忘れる。
おごる人たちが芸能人か。平凡さを笑う人たちが芸能人か。みんなの批判にさらされるのが芸能人か。そうではない。
みんな同じだ。この社会のシステムの中の分担だ。何かをやってこの世の中の役に立つ。それが私たち一人一人の使命だから、それを望む大勢の人たちのために少数の芸能センスのある人たちが働いてくれているのだ。
でも、ちょっとちがうのは、一生の終わり方が違うようだ。おごりが生活を乱し、命を無駄にしているような芸能人が多いのはなぜか。ヒトは、一日一日を当たり前にいきること、質素にできるだけ質素な生活を楽しむことで、何か大切なものを手にできるのだと私は思うのだがまちがっているだろうか・・・。
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