感じのいい人たち
世の中には、素敵だなと思わせる人たちがいる。それは、その人たちが私たち部外者が望むものを持っていなくとも、外見でみることしかできないというプロテクターで守られている。ところが、ギャップが大きいと、なぜという言葉とともにバッシングされる。
だから、有名人の中にも感覚は同じ私たちの仲間もおおい。つい、気がついたらとんでもないことをやってしまっていた。そんな感覚ではないのか。とくに感じのいいアイドルはその本人には関係なく、社会の人格や品格を持つことを黙って期待されている。
そのままでいい子はいいのだが、中には外見とは異なる子もいる。そんなとき、だれかが面倒をみてきたのだろうと思うが、今は、いないのだろう。世の中、大将もちいさくなって行動を明治に戻すわけにはいかないだろう。そんな中でも逃げ切るひとはいる。だれもが、他人のスキャンダルは面白半分にしか感じることはできない。親身になっていると表向きはいってもそんなことはわからないし、逆に、それがスキャンダルになることもある。
感じのいい人たちは、そういういいものをもってうまれてきたのだから、自然でいいのではないか。ドラマの中での印象は意外と現実に似ていたり、違っていたりするから、それは私たちの一般的な感覚として、いい役者という評価になる。決して、個々にどうのこうのということはない。
ほんとうはどうなのかと、心から心配する必要はないのが一般大衆の一人としての私たちなのだと私は思う。そんなことは、振り払えばいい。そう生まれてきたのだから、自然体で自由に行動するのがいい。私的な時間はだれにでもいるものだ。どんなヒトにとってもそれは生きる支えとして必要なのだ。
「芸能・アイドル」カテゴリの記事
- ひとにはなにかとりえがあるというが・・・(2019.01.07)
- 赤穂47士、なんとか48、おニャン子・・・(2018.11.13)
- ニジマスもサケ(2018.08.17)
- 被災者ケア(2018.08.08)
- ガラスの天井(2018.08.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント