新たな発想のために
疲労困憊している状況の中で、まだまだやり続けている。
そんな疲れが実際の成果を低下させているにも関わらず、本人は加速的に目的達成に近づいていると勘違いしている。
休もう。
調子がいいなと感じたら、それは効率が落ちている証拠だ。だから頭と身体を休ませよう。
この身体は、細胞からできているのだから、多くの細胞の力が調和して総合的に機能を発揮しなければいけないのだ。いけないというよりも、そうでなければ最高のものは成果として出てこないということだ。
私たちは一つのことを続けると大抵は飽きてくる。よく40年間もサラリーマンで働き続けられるのか信じられない。そういう当事者は、みんなそう想っている。よくまあやるなとか、よくまあやったな・・・、とかであろう。
家族のため、子供のためという使命だけでは続かないことだ。なぜ、そういうみんなが信じられないようなことが、みんなほとんどの人がいとも簡単にできるのか。それは・・・・、・・・。
それは、・・・。それは、新たな発想があるからなのだ。どんなルーティンワークの中でも、気持ちがわくわくするような発見が必ずあるのだ。みんな、同じように出勤し、仕事をし、終わって帰宅する、という毎日の中で、いろんなことがでてくるのだ。それらが、この社会をひとつひとつ動かしている。
省エネ。省力。環境。3R。人事。技術。発明。いろんなことがある。私たちの身の回りにはほんとうに興味の尽きない課題、問題、その中から、自分たちの仕事でもテーマがあるのだ。難しくはないし、興味をそそられるものばかりだし、簡単にできることばかりである。
新たな発想は、アホらしさからも生まれる。知恵を工夫を何につかうのか。お笑いに使う。それはもっともっと宇宙開発とか海洋利用とか環境改善などにも使えるものだし、決してなくはならないものだ。
新たな発想とは、そこここに落ちている落ち穂を拾い集めるようなものではないだろうかと私は考えている。なぜならば、どこにでもあるものなのだ。ひとはまず生きていることが大切だ。いきていればなんでもできる下地があることなのだ。おふくろがいっていた・・・、・・・。
いのちあってのものだね・・・、あとなまえをかければいい・・・、と。
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