すききらいの感情とは
好き嫌いが激しいとよく言われた。
食べ物しかり、人間しかり、動物しかりである。もう駄々っ子の典型的な姿かもしれない。いやなものはどうしても嫌だという気持ちは譲れないというところだ。赤ん坊のころからそんな感じだったのだろうか。
うわべはすごく大人しいのに・・・。そのギャップは子供心を苦しめた。おれは悪い子なのにそんな風に見られていないのはなぜだろうか。わかっていないのだ。そうだ・・・。
そんな葛藤がいつもこころの中にあった。こどものころのこころの動きは活発だ。すぐに反応する。すぐにいやだとかすきだとか答えがでる。理由はとくにない。
こどものころに比べてそういう好き嫌いの感情が遠のいた。関係なくなってきた。反応が鈍くなったのだろうか。感度が単に悪くなったのか。どっちでもないだろう。
このこころは生まれたときからあまり機能的には変わっていない。変わったのは、そこにかかわる回路の漠然さだろう。本質はかわらない。すききらいももとに戻れば直観だ。でもそこに利害関係が見え隠れすると、でてくる表現態度ははっきりと変わってしまう。でも本心はちがう。
すききらいの感情とはコントロールできるものなのだ。右脳と左脳の使い分けだ。べつになんともない。そんな感情はときにジレンマを生みだすことも確かだ。
どうしても好きだ・・・、とか。どうしても嫌だ・・・、とか。そんなときはどうするのがいいのか。頭で考えても答えはない。何も考えないことだ。忘れることだ・・・。すききらいの感情なんていうのは、他人にとってはビルの屋上からふいに鉄骨がおちてくるようなものでしかないのを知っているだろうか。
そんなもんでしかない。好き嫌いの気持ちはそんなもんでしかない・・・。私はそう勝手に想っている。
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