想うこころ
いつごろだったのか。ものごころがついたのは・・・。
あなたは、覚えているだろうか。それは、たぶん生まれてすぐではないのか。3歳ではすでにいろんなことを吸収しているはずだ。どこで自己のもととなるものを私たちは獲得したのだろうか。あまり個人差はないのではないか。
基本的なひととしての認識は、けっこう早いのだと私は思う。
どこかへ行くと記憶の中にある景色や雰囲気と似ているとたいがいのひとは思うらしい。意識がDNAでつながっているのかもしれない。やはり伝承されているのではないか。大切なことは種を保存していくことである。
いろんなリスクを回避していくには、そこにある大切な情報がなければならないだろう。それが私たちの深層心理のなかでうごいているのだ。ほんの時々だけれども頭をもたげてくるのだ。
それはたぶん、進路を誤ったようなときではないのか。危険が迫ったときではないのか。こどもを守るために親は身を投げだす。野生の動物は、そんなとき侵略者に襲いかかる。子どもを守るというそのことだけのために、生きているからではないか。
いろんなことを想うが、それは子供をりっぱに育てるためなのだ・・・。どんなときでも親は子供を捨てない。自分の命は子供によって伝えられるのから、一番大切なたからものなのだ。
みんないろいろな個性をもってうまれてくる。それは、この世の中の宝ものだ。いいものだけがいいのではない。だれもが悪いと思っていることも、この世の中の大切な宝物の一つなのだ。
それは、だれもがどんな私たちの仲間も、想うこころをもっている。どんな考えなのか、それはちがうものに大きな価値がある。それがりっぱであろうがそうでなかろうが、そのちがいはいくら対価をしはらっても得られるものではないと、私は考えているからである。だから大切なのだ。
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