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ギャップとは

どうしてこの世の中はこんなに弱者に対して悪政を敷くのか。

時代劇の映画のひとこまのような状況が目に浮かぶ。決して、そこに清水の次郎長は正義を任じて出てはこないし、月光仮面ももうでてはこない。赤胴鈴の助もいない。剣術の千葉周作先生もいない。

助けがでてこない。助けを呼ばない。

時代遅れだからだ。他人にはかかわらない。自分勝手だ。私はあなたとは違うのだ・・・と、言い放つひとがいる。どうして、そうなったのか。

ギャップとは何だ。頭の中で考えることはすべて、反対のことだ。弱者には手を差し伸べよう。献血もしよう。社会の悪に対してみんなで立ち向かって撲滅しよう。

すべてにギャップがある。

こうしたい。こうあるべきだ。ほんとうはこうするつもりだったができなかったので、つぎからは確実にやっていきたい。こんなことで苦しんでいる。ほかにも同じ問題を抱えている人たちはいないだろうか。自分勝手ではいやだから、この社会で同じ苦しさを味わっているヒトがいるなら、一緒に力を合わせていきたい。どうしてできないのか。どうして・・・。

現実と考えることの格差があるのだ。大きなギャップがあるのだ。

ギャップを解決できないのは、それがひとくくりにはいかないからだ。もっと多くの人たちの共感をよぶように現実をさらけ出してピーアールしていかなければいけないのだ。腰砕けで終わるのは、それはできないことだ。拉致事件はそういう極限のものだろう。

どうして、そんなことが許されるのか。ギャップを埋めるのは、それぞれの利害を克服することだ。利害が対立するのは、どちらかが勝手なことをしているからだ。国と国の関係ならそれは、国民と国民の関係でかんがえなければいけないのに、政府が政府間の交渉のみと勘違いするし、理解できないのだ。

何がギャップを埋めるのか。力だろうか。その中では軍事力が大きいと思うだろうが、やはり一般大衆の国民の意見や考えが反映されていないからだろう。エコひいきの世界では常識は通らない。だれも信用できない社会では自由な議論による解決は不可能だ。そんな状況で、話し合いをしていこうという選択がまず間違っている。

国民の意思とは何か。そこには地球市民としての意思を想えば、決して思惑によるギャップはない。悪いことをしたら謝る。そして、元に戻すことだ。どこの国も過ちを犯していることがある。地球市民としての過ちなら、すぐに認めて、それを正していくことができるのだと私は思う。

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