こころを鍛えるには
失礼なことをいうニュースがあった。金メダルのソフトボール女子のピッチャーを男前だといっていた。なんと失礼なことだろうか。日本人とはまったくぶしつけな民族である。そんな評論をするのはなんとも情けない。表現力が貧弱で、たぶん、この日本のマスコミの世界ではもう生きていけないだろう。
それとも自分からもう反省してやめるべきだ。それとも反論して、そのあほさ加減を世の中にさらしだそうというのだろうか。もうやめてくれといいたい。
みんなをあんなにも感動させた選手に対して、とにかく誰に謝らなくてもいいけれども、自分でアホらしさ、バカっぽさを感じ取ってくれ・・・。
こころを鍛えるというテーマで、ほんとに大事なのはからだを鍛えることであり、技術を体に覚えさせるという努力が大切なのだと考えさせられたからだ。そんな些細なことと笑い飛ばせるようなことにもならないとは思うが、そうではないかもしれない。ひとによって弱点はちがうからだ。心を強くもつことは、柔軟でなければできない。幅がなければ心に収まらない。他人の気持ちが広くわからなければ強くはなれない。ましてや、弱い心を鍛えるには、それこそ大変なことだ。
からだと同じように心は強くできるのか。座禅はからだにとっての練習と同じ心の訓練かもしれない。からだがもうついてこなくとも心がそれを補うこともある。一流選手はみなそうだという。オリンピックで金メダルを狙うような一流選手でもそうだ。くすりに依存してしまう。時として弱くなってしまうときがあるのだ。いつも同じではないのだ。
心を鍛えるには、大いなる好奇心やいろんなことに興味を持つことだろう。どんな小さなことでも面白いことがいっぱいあるのだ。そういう面白さの中には、単に金メダルを取ること以上に楽しいことがいっぱいある。いろんなことがだんだんと興味を持つことによって分かってくる。素人がプロになる。そんな道がある。
そうするには、とにかくどんなことでも懸命にやってみることだ。できないことがあるだろう。一歩も進まないし、進めないことがほとんどなんだ。けれども、この世の中は他人との比較ではない。一人一人がいかに好奇心をもって臨むか、自分の希望や願をその中に託すかで決まる。なぜならば、私たちはだれでも、ひとつの命をもっているだけだからだ。どんなえらいひとも、一緒に同時には達成できない。つまり邪魔はできないのだ。
邪魔されても、興味の強い奴がずっと続ける。好きなことを好きなだけやることだ。そう信じることだ。そんなことが、この今の日本ではできるのだ。自由でもっともっとおおらかな社会をこれから、つくることが、私たちの持っている心をやさしいつよいこころに鍛え上げることができるのだと、私は信じている。
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