大リーグへの挑戦 ・・・FAの裏表
日本球界から大リーグへいくこと。それは、夢だろう。あこがれの中の憧れに挑むのだ。そんな気持ちを味わえる野球選手はそんなに多くはない。まず、周囲の同僚が認めることでしか、そう言えないだろう。普通は・・・。
プロの選手の目はすごいものだ。自分との比較でいえば、たぶんあいつは俺より才能があるというか・・・、俺より数段うまいとか・・・、へたくそが・・・とか、すぐにわかるからだ。
あいつは才能がないのによく言えるよなあ・・・、なんて言われたくないだろう。でも、そこに真の力は自分で感じるものだろう。他人の評価で動いたらい、すぐに挫折する。他人のおだてにのっているなら、それは実力がないということで成功しようがない。そんな見定めがとても大事だと思う。
だれもが保障された道を歩んでいるわけではない。だれも助けてはくれない。できないのだ・・・。他人はほかのひとに助言できても本当に助けることはできないのだ。突き放していくことしかない・・・。
できると思わなければ何もできない・・・・。そしてやらなければ何もやれない・・・。そんな想いでなにかを求めるのは、とてもやりきれない気がする。
でも、本人がどうしてもやりたいと思えば、そこに可能性が大きく生まれることも事実だ。今年は、上原選手が挑戦するという。あまりよくない日本での成績を抱えて、どうできるのか。それは、その方がいいのではないかと私は思う。
保障されたものがあるはずはない。未来は現在、過去と続いているものだが、その将来の成功を約束するものは何もないのだ。だから、兆戦というのだ。そして、何もないことがもっと大きな成果を生みだすと私は考えている。
もっと大きなもの、それは決まった大きさのパイではない。自分たちでその大きさを勝ち取っていくものだ。それが、リスクとなっているではなく、大きな可能性となって現実の選択肢の中にあらわれてくるのだ。
大リーグへ挑む選手に期待している。楽しみにしている。
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