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ひとのこころはどこにあるのか・・・

三つ子の魂百までという。でも、すでにおなかの中にいるときから、その基礎は形作られているのではないかと思う。

生命が発生する瞬間に決まるのではないか。

人ならヒトの一生が、動物ならその生活のすべてが生命誕生というその瞬間にきまるのではないか。

生まれた後は、そのときにつくられたものか、与えられたものかというちがいはあれ、プログラムにしたがって進行するのではないか。ときどきに意志決定をするとか、何かを判断する必要があっても、それもすでに決まったレールの上を移動しているだけのことではないのか。

そういうレールの上で、ひとの特徴である考えるこころとか感じるこころというのはどこにあるのだろうか。私たちの身体の中にあるのは確かだろう。化学作用なのか。心理的な作用というのは、血流と神経が脳細胞を動かしてそこにこころを形作っているのだろうか。

何かをすると脳のどこかが動くというのはわかる。神経でつながっている。痛いとか感じるのもわかる。悩むとはどういう作用か。迷うとはどういう作用か。選択の回路が動きが悪いから迷いがでるだけのことかもしれない。

自立性とかいうのは自律性からくるのだろうか。そういう回路に欠陥があれば、そこを修復する必要がある。

でもひとのこころはもうひとつ網羅するレベルが異なるのではないか。そうでないと、宇宙空間より広いスペースをこの小さなこころに持てるわけがない。思いつくことはどんなことでも考えられる空間がそこにはある。私たちみんなが持っているものだ。

ひとのこころがどこにあるかがわかれば、いくつかを一緒にしてもっと大きな空間を構築できるのではないか・・・・。それが、じつはこころを通わせるということなのだろう。言葉とかいろんな信号を情報として送り届けることによって、同じように返ってくる情報もある。

ひとのこころは、身体の中にある。それは、身体が滅びればこころも無に帰すからだ。でもあるうちは、ずっとからだの中にある・・・。そして、そのひとのこころはそのひとのものであり、他人が勝手につかうことはもちろんできないものだ。

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