見えないパワーの爆発だ・・・
ムンバイ、バンコック。かつての東京での学生闘争に似ている。経済が巨大化しているのは、大衆の力が大きくなっているからである。
リリーフバルブが必要なのだ。中身が急激に膨張してくるとき、そこに混乱が起こる。それが起こりつつあるようだ。
人間の数のエネルギーに加えて、科学技術という進歩が相乗的にかかると、そのパワーは制御できなくなる。社会が大衆の関心を得られないとき、それはテロの餌食となる。
しかし、社会がしっかりと大衆に結びついているならば、それは大衆の受容力として示される。比較的温和な解決方法かもしれない。そこで問題となるのは、社会システムである。経済を止めるということは、大きな損失である。それでもバンコクではそこの論理を超えた行動が起こっている。
スローという感覚は、実は早いのではないか。ずっと昔は一年間の食糧を確保するために活動していた。今は、いくらスローフードの時代がいいとかいっても、わずかである。
早すぎるのかも・・・。そんなことが、膨張スピードと受容力の枠組みの制約でもめているように見える。
日本の団塊パワーもそこであふれるところがなかったことにある。みんなが競争という枠組みの中でもがいても、ほんの些細なことで差を無理やりにつけられてランク付けされるのだ。
そんなことは、100mを30分かけて走ることと10秒で走り抜けることを比較するようなものだ。同じ土俵ではないのかもしれない。少なくとも、10秒から30分の範囲で競争すること自体無駄だ。そこで選別が起きる。
選別は差別とちがうかもしれない。でも差別されることを選別結果は示している。どうもどこか焦点がおかしくなっているのではないか。
常に変わる。チェンジとは普段の生活の中で常に起きていることだ。ことさらチェンジという必要はない。私たちのこの心と身体には、そういうパワーがあるのだ。個々に違う特技を特徴をもって生きていける才能があるのだ。
満たされないパワーはどこへいくだろうか。社会の不満となって爆発する。そして、そこから先は源が尽きれば終結しかない。力不足の中途半端な終焉は、さらに悪い方向へと向かうだろう。
そんな見えないパワーをどううまくエネルギーに変換するかが大切なことだ。爆発力として使うには、準備が必要だ。そして、そいういうパワーの存在をまず認識することが大事だ。社会にとって決して大衆そのもののパワーは脅威ではない。自分たちひとりひとりのものだから、どう結集してよりよい社会の建設のために活かしていくかが問題なのだ。
見えないパワーが、目に見える形でアピールしていると私は考えている。
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