ゲームは駆け引き
ゲームを楽しむのは欧州では一般的だという。心理作戦の重要性というもの、危機管理の大切さを昔からしっていたのだ。
日本はどうだったのか。まるで逆だ。トリックに欠ける側がその仕組みを知られては困るからできるだけ、シンプルに武士はくわねど高楊枝などとうそぶいて真理をぼかしていた。
武士道とはしぬこととみつけたり、なんていう言葉もある。何かとても切ない世界だ。それは、今あるリスクマネジメントなんていうことは、その考え方、対応の仕方そのものを暴く始業である。好となるわけがない。だから世間では冷たく見られてしまう。どうして、人の不幸をシミュレーションするのか。
そんな言葉で代表される。
ゲームは駆け引きだ。でも今のゲームは命がけだ。サッカー選手は監督の指示で動く。だから責任はない。そうだろうか。99%は選手の能力ではないのか。その中に、監督が伊吹をもたらすだけではないのか。首を切られるのは監督だ。
監督とはそんなにすごいのか。私はそうは思わない。たしかに戦略はある。どうしてこのチームを強くするか。選手を補強する。それが戦略だ。戦術はそのあとだ。弱いチームで強いチームにどうやって勝つのか。それが戦術だ。
ゲームが駆け引きだというわけがそこにあると私は考えている。
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