待てない時間とは・・・
もうじれったい。どうしてそんなに時間がかかる。パソコン、インタネット。この世の中にでてきてもうどのぐらいになる。まだ日が浅いのにどうするのだ。そんなに焦ってばかりではもう生きていけないだろう。
そんな風潮が見える。自分の中にも急激に膨張しているそんな感覚がある。これはちょっと大変なことだ。だまって見逃していいのだろうか。
人を蹴落とすのに、いじめとか嫌がらせとか、精神的苦痛を与えて破壊してやるなんていうことを本気で考えているやつなんていないのだから困る。
受けてになると人は弱くなる。あんなに攻撃しているときは強気で頑固なやつが、どうして、一度守勢に回るとだめなのだ。それは気持ちの持ち方によるものだ。
大きな体でもしっかりとしているひとがいる。小さな体でもぴしっとしているやつがいる。でもなにかぴりっとしないやつもいる。そして、自己にまったく自信を持てない人たちも大勢いる。
ほんの些細なことが胸に突き刺さってしまう。私もそうだ。蚤の心臓なのだ。でも蚤はたくましいではないか。ひとに嫌がられても嫌がられてもずっといる。なにかこの世の中のバランス維持に貢献している生き物なのだろうか。
どうもいてもいなくてもいいという存在はいっぱいありそうだ。人そのものもそうではないのか。とくにちいさなひとりひとりはいる必要があるのか。特別、あなたでなければいけないということがあるのだろうか。ぜひ私でなければいけないという理由はあるのか。
そんなものはない。だれでも同じだ。一人の人間がこの世にもしいなくても何も変わらない。世の中はそんなものだ。
待てないのだ。その1秒が待てない。もうその体験をしてしまったら、そこからはもうだめだ。そんなものだ。でもどうしてそうなる。ひとの頭でも、うまくすぱすぱと動く時とそうでないときがある。
人工物でもそうだろう。なぜ待ってられない。どうせ、何か大切なことを忘れているに違いないのだ。
なぜ待てないのか。なぜ生きているかということを忘れて、パソコンの反応時間にまったくすべてを吸い取られている。それは、なぜという問いかけに時間がかかるというよりも、単なる動く距離のことではないのか。距離はもうないに等しい。
空間をどうみるかによって変わるものがあるだろう。平面でみてみよう。立体で見てみよう。いろいろと考えていくと単なる点でよいことがわかるだろう。どこに何があるかはその一点にあるのだ。すべてを包含している点が太陽だったり、地球だったりする。
待てない時間はないはずだ。そんなことに気を取られてはいけない。でも待てない。そわそわしている。いつもそうなのだ。待てない時間だ。パソコンではなく私が待てないのだ。
そんな気持ちを探って、対応するソフトがきっとでてくるだろう。
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