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格好よさを追及する男たち

昔から、男たちは格好を気にしてきた。どうしたら、格好よくなれるか。そういうことに大いに気を使った。

そんなときに、男たちは格好悪さを前面に出して恥ずかしさをその武器にした。格好悪いということをつまり、格好よさにしたのだ。

自分たちの基準だ。それはたわいのないものだ。流行をつくってそこに何かを築くということだろうか。

今、格好よさが逆に悪く見える。薄っぺらなものは、すぐにわかる。そして、そんな薄っぺらだと批判されることが格好良かったりするらしい。

でも、どうだろうか。体にいっぱい穴をあけて金属をぶら下げているなんてどこがどうなのか。昔からそういうおしゃれがあったのだ。でも、首ナガ族の女性が決して世界の基準になることはない。中国のテンソクという侮辱が何を意味したのか、基準が何かおかしい。そんな社会があったのだ。

それは、異常な格好よさというのか。いや違う。それは、狂気の沙汰そのものだ。どこかでなにかがずれている。自由を標ぼうする国が過ちを犯しているのだ。民主主義を目指す国が他国を虐げている。なぜだろうか。そこに厳然とした、国としての格好よさを追及せざるをえない理由があるのか。でっち上げの理由だ。だれも検証なんかしない。それはできないからだ。

格好よさを追及するとそれはどんな方向にいくのか。ユニセックスのようなものだろうか。これからの社会はあきらかに生き物として人間ということになるだろう。それが基準になるだろう。男たちの格好よさはもう存在しなくなるかもしれない。

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