機能的な住まいがいいのだが・・・
どんな住宅がいいのですか。そうですね、狭いのはいいとして、シンプルで機能的な住まいとでもいう内容でしょうかね。
そんな会話が聞こえる。
最近、ゴミ屋敷とかのニュース報道を見た。どこにでもあるらしい。原因はもったいないといいて捨てたものを拾ってくるパターンと、毎日の食べ物とか生活そのものがゴミをだすのに処理しないというパターンのようだ。
毎日コンビニで食べ物を買って、袋も容器もそこにおいて片付けない。いつかやればいい・・・。それでいるところがなくなる・・・。
これら二つに共通するのは、いつかやろうという気持ちだろうか。それで本人の中ではバランスがとれているのだ。
今は、ゴミゴミして散らかっているが、いつか片付けるそれまでのことだ・・・。だから、私は何も悪くはないと・・・。しっかりと正当防衛の言い訳をして納得しているようだ。それでは周りがとても困ることが、本当にわからないのだ。
たいていは一人暮らしなのだから、周囲の変化がわからない。時代に取り残されているというのがわからない。
とうことは、まずしくとも、田舎でおじいさん、おばあさん、ちち、はは、こどもたち、いぬ、ねこ、にわとり、池のこい、庭の柿の木、リンゴの木、グミの木、梅の木、杏の木、サクランボの木、洋ナシの木なんかがあり、ときどき、ひいおばあさんが訪ねてくるなんていう風景はすばらしいとしかいいようがない・・・。
そこにあるものが、日本の生活の原風景のような気がする。
そんな時代の住まいは土間があり、農作業に合わせたスペース配分がしっかりとなされていた。ひとつのうちが、結婚式場になったり、いろいろなことに使われていたのだ。もちろんそんな時は、となりのうちの台所が追加の調理場に早変わりするのだ・・・。
そんな機能は、今の社会にはもうない。これから、そういう風景を復活するのが、必要ではないだろうかと私は考えている。
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