カリスマとはごまかしのこと・・・
ヒトはだれでも演技をしている。時の総理として小泉劇場の主演がいた。
そして、なんとかシアターと言ってくれという九州の知事さんがいる。
カリスマなのだという。みんながなんら根拠なしに面白おかしく一気飲みなんていうコンパのようなものだろう。その時、なんでもできる経営の神様になってしまうと、それは神話となってしまう。だれの目にも神様になる。
でも、経営の神様の手腕は続かない。数年後に非難の的となってしまう。
つまり、ごまかしなのだ。けっしてご本人の責任ではない。マスコミが面白がってやったことなのだ。その代表的なことがいろいろある・・・。
二大政党政治というのが今度の選挙だと私は考えている。そして、己の関心だけで地方分権ということが争点だという、自称次期総裁候補希望者がいる。人気がある。でもほとんど6割の人たちは冷めた目で見ているようだ。
ここにも裸の王様とそれを演出する操作者がいる。どちらもほくそ笑んでいるのがよくわかる。でも、裸の王様には、絶対にわからないのが、このたとえ話の真髄なのだ。
世襲問題もJP社長継続も操り糸が丸見えの状態なのにだれも気付かないと思っている。マスコミも節穴だ。時代は変わろうとしている。でも国民生活は、すぐには変化に適応できないのだ。だから、パラダイムシフトをするのだ。
従来と少し変える。違和感はある。でも、それが本当のことを気づかせてくれる。
アホラシイ。時代が変わる時、言われる言葉だ。ジンザイガイナイトオモワレテシマウ。同じだ。
二大政党政治では、二つの側に人材が競い合うという構図が必要なのだ。だから、人材を集める。一番いいと思われる人たちを集める。そして、そこから一番いい仕組みを知恵と創意工夫で編み出すのだ。だから、いいと思われる人たちは、従来のような官僚的優秀さを自慢する人たちではなく、己の個性をもった、従来のエリートを超越した存在のニューなやつらなのだ。
どんなことでも、アホラシイと叫んだ方が時代に遅れている保守的なサイドにあるのは間違いのない歴史的事実だ。カリスマと同じだ。それは、ごまかしのことなのだから・・・。
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