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麻生政権のせきにん

ある評論が私は気になった。麻生政権は仲間になりたいという人材が少ないというのだ。どこでも何か評判のいい企画があると、そこに参加しているというひとの数は大きく増えるのだ。

でも逆もある。

あの仕事は私もちょっと参画したが、はじめのころだけです。中身は何もしりません。他のことをやっていましたので関係ないというのが実情です・・・・、なんていうのだ。

麻生政権のいいところは歴代総理の中で、なにか素人っぽい人材がいっぱいいるということだと私はほんとうのところはしらないが、そんな感想である。仲間内閣とでもいうのだろうか、友達内閣とか、遊びで俺が総理になったらお前は大臣だなんていう・・・・、あの遊びである。そんなときいつもでる言葉は、まあ俺たちにはないだろうから・・・・、というものだ。

それが現実になった。当然、日本には格というものがあり、先祖の七光でいろいろといちゃもんをつけるが、それはまったく問題ない。ただだれも言わなかったのは、途中で放り投げたといわれる二人の前任総理のことも同様な世襲そのものであるようなことであり、二代目、三代目はだめだというようなことでもあろうか。

ついおろそかにする。政治の目的、政権の目標というのは何かということなんてどこにもない。保守政党の維持、再建ということが一大目的なら、そこに焦点を絞るべきなのだ。そんなことは、頭を変えればいいというような錯覚に陥っているのだ。

人材はより良い人材のいるところに集まるという。いい仕組みはより良い仕組みのあるところに集まるという。せっかくのチャンスをどうのこうのというひとはだれもいなくなってしまった。

人心一新なんていうのは当然のことだ。日本代表サッカーチームの監督なんてみてみろ、すぐに首がとぶのだ。ワールドカップで4位以内に入るには、なんでもするだろう。選手もより可能性のあるチームを形成できる人材を集めるだろう。そしてみんな協力もする。個人的はうらみつらみもあろうが、そこで納得する。

俺を使わないなら、ぶっつぶすなんては言わないのだ。ワンフォーオール、オールフォーワンなのだ。

麻生政権は、そんな日本国民の考えていることをすべてないがしろにした。いや保守政党の問題だろう。麻生総理の問題ではない。トップは常に厳しいものだと国民は知っている。日本の総理はなにを言われようとも、私たちの親と同じなのだから、いいわけはしないし、みんな信頼もしている。

だから、どう導くかは、それでも選んだ当時のパラダイムがもう変わっているのだということに気づいていないのだ。本来、4年前に変革しているはずだったのだ。

とすれば、与党はほかの政党の協力を得て政略的にこのわずかな期間を延命して国民を苦しめただけといういい方もあろうか。それとも野党の力不足とパワー不足ということだろうか。なんでもかんでも議論、議論ではだめだろう。国民の総意というものをしっかりとつかんで国際動向を踏まえて先手をうつリーダー的な意見がないのが残念だ。

麻生政権の責任は、私はそれで十分に果たしていると想う。そして、二大政党の一角を常により強固にするための方策をようやく考えることができるのではないかと考えている。

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