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相撲界、スポーツ界、芸能界、アウトロー界、一般社会界

相撲界へのバッシングは激しいものだった。最近外国人が多いので、なにか雰囲気が違うような気もする。日本の伝統文化はしっかりと保護していかなければという厳しさが、相撲協会を攻め立てた。尿検査の実施、該当者の追放だった。

いろいろな娯楽界がある。人々は強さとか華麗さとかを求めていく。そこの世界には花形のスターたちがいる。あこがれの人たちである。でも、そこで麻薬とかドラッグが社会で禁止されている薬物が堂々と使われているような感じなのだ。一度、一般のひとたちの気持ちを裏切ったら、その風評はずっと消えることなく続くのだ。

たしかに花形スターはどの世界でも一般人とは違う成功者だと自覚しているのではないだろうか。どうしてスターになったのか、なれたのか。自分の人間としての特異性だというような錯覚に陥ってしまうのだろう。

とすれば一般人以外の何者でもない。特異性というのは、たとえば天才であればあるほど、その才能の脆さというものを知りつくしているはずだ。感性とはとても微妙なものだと私は推察するだけだが、そう想うのだ。

だから、訓練し鍛練してきているのだ・・・。ボルト選手がいみじくもいった。彼は伝説になると母に誓ったというのだ。でも、伝説になってしまうと、今までの激しいトレーニングにまた再び入っていけるだろうか・・・、とちょっとインタビューの中で不安をのぞかせていた。

アウトローの世界では、日本のやくざというのは任侠渡世人という形で親分として子分として仁義の盃をかわしていた。縄張りをお互いに争う場合には、やくざだが、一般のかたぎ衆に対しては決して暴力を振るうことが許されていたわけではないのだ。

一番、数の多いのはこの社会を構成する一般人の社会である。そこが需要の創出源なのだから、一番上にあるのだ。花形スターたちは見世物であり、一般人に芸を供給する少数者なのだ。選ばれてなるというより、自分の意思でつかみにいった気概のすぐれたひとたちである。

そこでどう変わるのだろうか。おだてられてのぼせあがってしまうのが、この世の常である。懸命に下積みで努力してきたあのスターも、己の才能におぼれてしまうのだろう。

禁酒が常識、飲酒は麻薬よりも重罪で面汚しなんていう宗教界がある。お酒で気分をほぐすなんていうのは堕落なのだ。外国人にはおおらかだとかいうガイドブックがあったとしても、ほんとは仲間外れのちがう世界の酒飲み人種でしかないのだ・・・。

だから、どうする。法律は決めごとであり、構成員は守る義務があるのだ。そして、社会として成熟しているなら、その仲間として日本社会での社会人としての責務があるのだ。それはヒトとしてその社会にいるかぎり、仲間として認められるために個人個人がやらなければならないことなのだ。

相撲界はいいだろう。応援しよう。

スポーツ界はメジャーなどで筋肉増強剤とかの事実があったが、当時のホームラン王たちはもう出番はない。改善されている。応援しよう。

芸能界はどうだ。飲む打つ買うという三拍子がそろわないと芸は完成しない・・・。そんなことが言われて久しい世界だとはおもう。でも、からだとこころが破壊されていくという事実のどこにそんな伝統文化が残るのだろうか。清純さが売り物のスターでなくても、いいではないか。普通に大人になり、結婚し、母になり、体の線が若手のころと変わってもこころが成熟して芸が育つことが多いのだ。男女差のない世界のようであり、いろいろな分野・ジャンルがある。でも共通しているのは、ファンに支えられているということだ。だれも薬漬けのからだもこころも蝕まれていく途中のスターなんて望みはしないのだ。

一般社会とアウトロー社会は、常に綱引きをしているのかもしれない。でも任侠という世界の良さは一般社会でも通用する考え方である。法律を侵して儲けようとする犯罪者とは違う。

自由とはいいものだ。だから、そこでその自由をずっと持ち続けるために何をしなければいけないかを考えようではないか。

私がたばこをずっと吸っていた頃、禁煙なんてできないと・・・、ずっといつもいつも想っていた。やめはしない、なぜならば、たばこを吸わなければ生きていけないし、三度の飯なんて問題ではないから・・・。そんなヘリくつをつけていた。幸い違法ではない。昔の専売公社が売っていたのだから、合法なのだ。問題はない。犯罪ではない・・・。

でも、家庭に帰ると子供たちがいう。私が自分の父親にいったとおなじようになぜそんなものを吸うのか、いちおう健康のためにやめてよ・・・とかいうのだが、やめられないものはそうしかならない・・・。法律で禁止されたら、やめるさ・・・なんてほら吹いていたのだ。

でも、家族の目が気になる。じぶんでも吸いすぎはよくないのがわかる。健康上もよくないのがわかる。でも、もう中毒なのだからやめられない。その大元はニコチンというものだ。血中濃度が減少すると禁断症状がでるのだ。だから、やめられないのだ・・・。

家族の目は、厳しい。法律とか、そんなものはどうでもいい。やはり、一家の主としては、家族のために、そして自分のために、禁煙すると想えばできるのだ。可能なのだ。そんな冷たい視線といたわりの優しさがたばこをやめさせたのだ・・・。私の場合は・・・。それは法律でもなんでもない・・・。家族のいたわりというものが強いものであり、大切なものだったからだろう・・・。やめるとそんなことがすんなりといえるのだった・・・。

生まれたら死ぬ。いつも私たちはどんな世界のひとでも天才でも凡才でもバカでも普通でもなんでもかんでも、今ここでは生きている。だから、自分の命と天秤にかけるだけではないのだ。それは、まわりの人たちのこころを私たちはだれもが大切にしなければいけないのだと、私は考えている。

そんなところで、もういちど考えてみよう。みんなでドラッグの無意味さを考えてみようではないか。

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