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陳腐化というもの

そんなこともわからないのか・・・。若者はそう想った。

時代の動きが年配者になるとわからなくなるということが、実は若者には理解できないのだ。

当然のことだ。一家の中に、赤ん坊がいて、おじいさんおばあさんがいて両親がいて、小さい子供たちがまだ学校に通っている。お嫁さんがいて、鶏とか犬も猫もいて、となりの家には馬や牛もいて・・・・。

実は、この仕組みがとても大切なのだ。

少子高齢化社会では、世代間のかかわりがたった一代でしかなくなっているようだ。もっと、ふるさとに帰ったり、親族との交流が盛んでなければいけないのだ。

ひととかかわることが嫌いなひとは多い。面倒だからとか、わずらわしいとか想う気持ちは田舎でも一緒だ。でも、やって交わっていくとそれは結構楽しいのだ。

あんなに人見知りの私でも、そういう中に入っている。機会があれば、そういうことを知らないうちに体得している。

そして、人間心理への対応の仕方の陳腐化に陥るのは、そんな面倒で煩わしいことをずっとわがままに放置しているときに起きてしまうようだ。

あっと気づいたら、もうそんな歳になってしまう。

周りに若い人がいないと、その世代のファッションもわからない。世代間でも常識的な考え方の変化も感知できなくなる。

ケータイ、パソコン、地デジ、デジカメ、J1とかJ2とか、JRとかJA、JTとかJF、JHなんていうのもある。

あのアラレチャンももう陳腐化だろうな・・・。サザエさんも・・・。今はなんだろうか・・・。

そう想うと、何かいままでの苦労がすべて無に帰したかのような脱力感を味わうことになる。

でも、そこに交流があれば、違うのだ。まったく違う世界になる。ひとつひとつが早く変化しているのではない。地道な変化なのだけれども、いつの間にかそうなってしまうという恐怖がだれの胸の中にもあるのだ。

陳腐化とは何か。もっと普遍的な人生の生き方、考え方に焦点を絞って暮らすことで、多様な社会の動きに対応できるのではないだろうか。

ファッションも繰り返すというではないか。考えてみれば当然のことだろう。暮らしの知恵というものは、天変地異に反応してきたのだ。何もなければ、そこに多少の遊び心というものでメリハリをつけようとするのだ。

遅れるも良し、速めるも良しだ。時空はまるくなっているのだ。そして、それは今とここにあるのだ。陳腐化とは、こころの持ち方次第で変わるものだ。

こどもの想いは忘れても、こどもはその成長の一つ一つの過程を学んで大きくなるのだ。陳腐化も人生の多様性の一つだと想えば、なんら問題はないだろう・・・。

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