リリーフ政治家
選挙を惨敗に導いた総理に投票はできない。
白紙で投票するとか、しないとか。本気でもめていた様子がTVで流れていた。何度も見た。チャンネルを回すたびに各局でやったのだ。
こんな様子を今までみたことがなかった。麻生総理と森元総理の二人とも、修了後に数人とスーツを左肩にかけて、昔の任侠やくざのようだった。なにか討ち入りしようと冗談みたいに談笑している様子が目に焼き付いている。
たしかに、重要なことは二人で決めろというのが鉄則だ。協議はいい。でも決めるのは、いつも少人数でなければだめだというのが、常識だ。
協議で意見を洗い出すのだ。もうないかというのではなく、まだまだ口に出ていないことや、頭の片隅でくすぶっていたり、忘れられていることが、いつでもでれでもいっぱいあるのが普通なのだ。だから、いろいろなことを、主張し、提案することが必要だ。
でも、それらは普通のひとがちょっと想うこととなんら変わらないのだ。ただ、状況が切迫しているときには、単なるバカなアイデアでもヒントでもアホな発言でも意味を持ってくるのだ。なぜならば、勢いが見えるからだ。でも、だれも手を上げない。主流でなければ力もないのだ。
もとへ戻って・・・。リリーフ政治家は、かの若林元農水大臣だ。3度もリリーフを務めた苦労人が今度は鳩山代表の対立に名前を貸してくれと言われたのだ。
そんなにまでして、党内の選挙で1年前に選ばれたひとを、惨敗という責任を負わせた上に、背中をけっ飛ばすというのだろうか。
権力者がその力を失うというのは、とても空しいものだ・・・。だれもがそんなことを望まない。これら一連の様子を見ていると、確かにこの日本は官僚組織が動かしているのだと気付かされる想いがする・・・。
そんなしらばっくれた言い回しでなくとも、みんな下積みの力持ちがやっているのはどこの国でも同じだ。みんなが司令塔では、世の中は動かない。それぞれに役割があって、その重要性を社会全体で認識して、どんな仕事や役割に対してもそれ相応の十分な評価をしていく必要がある。
でなければ、おべっか使いの媚びるノウハウがネットで売れまくることになる。地面に両足をしっかりとつけて、素朴に生きた私たちの先祖に顔向けができなくなるような気がする。
若林リリーフ政治家は、この難局の本戦でも当分、リリーフを務めてはどうなのだろうか。党員でもない私がいうのも何だが・・・・。
一番、いい選択のように想うのだ。
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