無心になること
こころをもし無にしても、からだはなくせないだろう。
座禅でいくらそういう心理を磨いても、からだはどうならないだろう。
からだが要求するものをこころがコントロールするというのか。
ここらがからだに要求するのだろうか。
これらの間の情報伝達はどうやっているのか。
そんなことも含めて無心になることだろうか。
今ここにあるという事実がどうにも迷いの源のような気がする。
その程度でないと、真につきつめると、間違って、消滅させることが無だなんて信じてしまいそうで怖い気がする。
無心になることって難しいことだ。だいたい意味がわからない・・・、そんなぼやきがでてくるのだ。
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