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おのれのちからであるくうれしさ

たしかに時流にのって肩で風を切って歩くのは、気持ちが張っていいものだと想う。

そして、そういう周りの状況が一変して何も後押ししてくれるものがなくなったら、そこでなぜだれも手助けしてくれないのかと絶叫し泣き叫ぶのだろうか。

みんなこの世に生を受けたものは同じだ。栄誉を手にしても、富を抱えきれないほど集めても、それは束の間のことだ。

生まれたからには、この世で一度は、自分のちからで歩いてみようではないか。

何もないところで、おのれのちからで歩くことは、とてもうれしいものだ。

そんななんでもなさそうなことが、なぜか長く生きてくるとできなくなるのだ。

だから、私たちは人生を10年とか20年単位で区切ってその都度、自分のペースでゼロから歩み始めるのが一番の贅沢だと、私は考えている。

そのきっかけは、なんでもいい。人それぞれに節目はある。病気でも怪我でも、もちろん他者に教えを受けるきっかけでもいいのだ。

そうすれば、こころが洗われて、いつでもまたゼロから自分の足で、自分のこころで歩き始めることができる。

そこに素朴な気持ちがあることを知るのだ。

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