すれっからしの逞しさに想う
ちょっと言い過ぎではない。
タレントになるには、もう己のすべてをそこに集中して突撃することしかないのだ。
同じぐらいの才能はその辺にいくらでも転がっているから、やはり勝負は瞬発力なのだ。
門前の小僧で学んだことは、一歩先んじることにつながる。
すれっからしは伊達にやっているのではないのだ・・・。みんな事前の準備をしているのだ。
それは、後日にも逞しさとなって生きてくるのだ。
他者にいいように振り回されないという気概がそこに育まれるのだ。
世界にはばたく日本やいろいろな国の若者たちは、ほんのちっちゃな経験ですれっからしの生き方を学びとり、逞しくなる。どこにでもいる悪い奴らのにおいをかぎ取る能力なんて一番大切なものだ。
そして、おのれの心に嘘をつかないという信念は最後に身を救うことを知ることができる。なぜって、ヒトは自滅するか、自己崩壊することが多いのだからだ。嘘をつきとおすことは、おのれの人生を否定することだから、そんなことに普通のひとたちは耐えられないのだ。
いくら悪ぶっても、その自己崩壊という恐怖には勝てないのだ。だから、ちょっとの悪はすれっからしという表現なのだ。そこで、自滅へのプロセスの恐怖をしることができれば、そういう選択をしていないすれっからし程度の悪さは、こころの中で堂々とした逞しさに変わるのだと・・・、私は想うのだ。
すれっからしになれとは言わないが、おのれの嘘は私たちのこころの中から消え去ることは一生ないのだ。馬鹿正直ということではないが、そこに何か他者にこびない逞しさを感じる。
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