ノーベル賞受賞者の力とは・・・
どんな人になりたいですか・・・と少年少女に問うならば、ノーベル賞を取る人になりたいなんていうのが、ずいぶんと流行ったことがある。
そんなに憧れても手の届かない存在は、今の日本でも同じままに残っているようだ。
オリンピックの選手になることが、比較的若い時の現実的な夢ならば、ある程度の年齢で実績を重ねてくると、そこで科学者ならば、ノーベル賞を狙える位置づけにあるのは、これはすごいことだ。
だから、すでにノーベル賞を受賞している偉い学者の先生に、歴史の評価に立って責任をとる覚悟があるかと、恫喝されれば、それはないと言ってしまいそうだ。
でも、それでひるんではいけない。こういう力関係のときには、絶対に権力を持っている方が勝つのだ。問われる身には、説明責任とか説明の仕方が下手だとか、いつもいうことに能力がないなんていう必殺仕分人もいるようだ。
それは、システムとして質問する側にこたえる側という立場があるのだから、そこで何か前世から悪人であるようないじめ方といっていいのかどうかちょっと躊躇するが、悦に入っているようなことは、許されないのではないか・・・。
もっと建設的に創造的な議論を短い中に求めていくという共通認識が必要ではないのか。私は、短時間だからとか、今回はカットだからというその説明そのものがおかしいとも思うのだ。
せっかくの機会を前向きに使うこと、そこに短時間でも発言する内容は創造的な部分を刺激するものであってほしいと私は願うものである。それは、もちろん双方および関係者全部を対象としていることである。
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 言葉尻をつかまえよう(2010.02.09)
- 不況対策と貧困対策(2010.02.09)
- 北極圏から見た世界の天気(2010.02.09)
- 日本政治の位置づけとjは・・・(2010.02.08)
- 地球の裏側は遠い存在か(2010.02.08)


コメント