芸能人とは・・・
芸能人は、タレントともいわれる。その中身は、歌手、俳優(男女)、お笑い芸人などだろうか。
最近は、接客業の女性や男性が多くなっているのはなぜだろうか。キャバクラ嬢とか、オカマバー勤務なんていうこともある。基本的には、そこで接客なのか、それともエンタテナーなのかで、まったく内容は変わるのではないだろうか。
芸能人も様々な挑戦が必要のようだ。とくにお笑い芸人は、政権交代とかで新たなキャラがあればそこにひとつの枠が出来上がるというような仕組みができているようだ。
大衆受けすることは、庶民的なことかというとちょっと違うようだ。世間離れしているなんていうのは、目立つという意味では、大切な要素であろう。
芸能人との交流関係といえば、どうなのだろうか。青田買いというイメージで、新人が出ていくための条件もあるのではないか。実力といっても、それは大衆心理をよく理解しているプロヂューサがまずは認めなければ、芸能界には出ていけないのだ。
踏み絵のようなものかもしれない。お相撲さんばかりがタニマチを持っているのではなさそうだ。それこそ、タレントは商品である証拠であろう。他のものはいらないのだ。その人の人格全部ではなく、大衆受けする才能が商品化されるのだ。
だから、ある意味で、ほかの人格は余計なのかもしれない。
そこにいろいろな誘惑がある。芸能人とは何だろうか。有名人になる一つの手段であろうか。
でも、大事なのは、そこにあるイメージではないのか。子供たちも世間の庶民もほとんどは憧れを抱く存在ではないのか。そこに、ある社会の模範としての姿が求められているのだと私は考えているのだが、現実はどうだろうか。
少数だろうが、まやかしのイルージョンでほくそ笑んでいるタレントもいるのではないだろうか。社会の危うさに近づきたい気持ちはわかるが、ほとんどは善良なのが庶民なのだと私は想うのだ。
だから、芸能人は庶民の模範たらねばならぬのでは・・・・。
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