何もできない人生にも大きな意味がある・・・
あんなやんちゃな子供が、角界に入って、すごく立派になったという。
それは、千代大海関のことなのだが、それはちと違うのではないか。それは、恵まれた才能があり、やんちゃさの中にきらりと光るものがあったのだろう。それは、目の輝きでわかるような気がする。
たしかに小学生で100kgを超える体格で何十人でも一人でかかっていくような気もちの強さなんかで支えられていたのだろう。母親にてめぇ死ねとかいったとか言わなかったとか・・・。その代わりに引退会見では、親孝行という言葉を使っていたのだ。
興味をもつことによって、人生は変わるということを身をもって体験したのだと本人はいっていた。たしかにそうだろう。
そして、彼は角界に入らなくとも、もしかして、体格的に貧弱で相撲取りにはなれなくとも、そして普通の人生を送っていたとしても、何もできない人生を通っているとしても、その人生には、もしあの時角界に入ればそうなっただろうという現実があるのだから、何もなくても人生には大きな意味があると私は想うのだ。
でも、そういう人生を歩むひとの言葉をきけるのは、とても幸せなことである。私は普通のなんの取り柄もない人間であるし、何もできない人生を送っているのだが、ひととして生きている意味は確実に感じているのだ・・・。
それは、とてもおおきな意味をもつと、何もできないといっているみんなに感じてほしいと想うのだ・・・。
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