なんどもおもうこと
いつjもおもうことは同じだ。
おなじこころがあるのだ。続いているのだ。このこころはわたしのものだから、つづいているのだ・・・。
そして、いつも悩み苦しんでいるこころなのだ。
でも、へこたれないのだ。それも勘定にはいっているのだから、それでいいのだ。
とにかく、ながく生きることが、いかにいい経験を多く積むかになるのだ。それが人生の一番おおきな成果なのだ。
いい人にあうこと、男ならいかにいい女のひとに会えるのかで人生は決まる。おんなの人も同じである。どんないいやつに会う機会に恵まれるかで、人生は大きなちがいが生まれるのだ。
なんどもおもったことは、仕方がないとあきらめようということだ。
だめだったら、もしだめなら、それでもしかたがない。それでしょうがないということだ。
だから、最後の線ではいくらでも抵抗しようと想うのだ。それで終わりなら、理解されなければ、人生は取り返しがつかないのだから、そんなことを想いながらも、思う通りにはいかないこの世の中をいやだと想うのだ。
なんどもなんども思うことだ。
でも、それでいい。だめならそれでいい。そうなんどおもったことだろうか。
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