あまりカタカナを使わないでと言われたら・・・
ああしないで、こうしないで・・・・。
それはだめ、これもだめ、あれもだめだよな・・・。
そんな卑屈なこころをだれがもっているのだろうか。
どうせ駄目だ。あれも、これもそれも俺にはできない。どうせ駄目な人間だから、どうせできないのだから、こんな世の中、嫌いだ・・・。
だれでも、一度や二度は想っただろう。目に涙をためて、そう悔しがったことがあるだろう。
でも、カタカナを使わないでと言われたら、どうしよう。
常日頃、気にしていないのだ。カタカナで話すこともあるが、それはカレーライスとか、アイスとかではないか。同じ発音でもカタカナであろう。
ここで言うのは、英語とかフランス語とか外国語のことをいっているのだろう。日本語で適切な単語を見つけるのは結構難しいのだ。プレイティウーマンというのはなんというのだろうか。きれいな女の人だろうか。キレーナオンナだろうか。ニュアンスがどうも伝わらない気がする。
ひとによってその感覚は違うのだ。ウーマンにしても、中身はレディというものかも知れないし、レディといっても、それはガールという意味かもしれない。
あまりカタカナ言葉を使わないで・・・クダサイ、なんて言われたら、ワカリマシタ・・・と答えるのだろうか・・・。
それとも、ブチギレルのがいいのだろうか。
津波警報を無視した自治体の首長は、津波がツナミであり、TSUNAMIであることを知っているのだろうか。作家先生だから、もちろん知ってらっしゃるだろう・・・。でも、ぶちきれてしまったら、ひらがなでしか表現できそうにないような気がする。
やっぱり、売られた喧嘩は買うのだと、論評があった。そのまんまの反応がやはりアトクサレをなくすことは確かなような。
もちろん大衆に大きな被害がなかったからなのだが・・・。
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