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いくつになってもチャレンジ マスターズ予選落ちに想う

石川遼プロが昨年と続いてマスターズに出場できたのだ。

予選落ちでもそれは、叶わぬ夢ではない。

スタートラインに立つことが、その成果につながるのだ。

どこのだれよりもその権利を認識できるところに公平に平等な立場でいることができたのだ。

だれもが、思うだろう。ひょっとして優勝するかもしれない・・・と。

でも、なかなか頂上を目指すにはいくつかの問題がある。

そこに調子を合わせることができれば、いつもの調子の500%だせれば、優勝できるだろう。予想は、120%で優勝しているのだろう。タイガーなんかは、40%ぐらいの力で優勝できるのだろう。

いくつになってもチャレンジは変わらない。

予選でおちることは、また来年そこに立つという希望が続くかどうかにかかってくる。また落ちるのではないかという切迫感に襲われるのは当然だろう。そんな立場にいられる幸せな奴なんて世界に何人もいないのだ。

チャレンジするこころ、戦うスピリッツを失ったらそこで終わりになる。だから、それがいいのだ。スポーツはすべてチャレンジにある。失敗、失態、不成功、ミス、訓練不足、精神力不足、集中力欠如・・・・すべては、次のチャレンジのためになる。

そんな妙薬はどこにあるのだろうか。いいものをいつもいいところで獲得しているのはやはり天才だからだろうか。

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