スポーツは世界を変える・・・
面白さがある。
気分が高まる。
技術に優れた天才のプレーが見れる。
世界のスポーツ界は、天才のオンパレードである。
彼らは選ばれた人たちなのだろうか。
この世の中を変える人たちなのか。
それとも単なるプレーヤーとしての存在なのか。
貧困とスポーツ。貧しい少年が才能に恵まれていれば、世界のスーパースターになれる。
そして、親の七光りでスポーツ三昧で少々才能がなくても、ある程度までたどり着き、プロとなるひともいる。業界では、幅を利かす。
ビジネスのひとつ。プロのプレーヤーは商品だ。
壊れたり、売れなくなったら、そこで終わる。
魚屋さんもだれかが、魚をとってこないと、売ることはできなし、お金も手にできない。
スポーツ商品は、野球、サッカー、バスケ、バレー、水泳、ホッケー、ラグビー、陸上、マラソン、スキー、スケート、フィギュア、登山、海洋スポーツ(サーフィン、ヨット、ダイビングなど)、その他いろいろある。
スポーツは世界を変えるのか。戦争とサッカーのワールドカップとどっちを優先するのだろうか。もちろん、ワールドカップだというひとたちは多いだろう。でも、それでいいのか。ちょっとだけ、クリスマスとか正月休戦なんていうものでいいのだろうか。
開戦宣告協定を破棄するという北。手口がしれたら、なぜそんなことをするのか。理解できない。一緒に平和にやろうという呼びかけは、実は独裁国家の世界における必要性をだこかのだれかが、捨てがたい宝物のように想っているからではないのか。
独裁国家で国民の幸せなんてない国では、崩壊の道しかない。スポーツも薬漬けで成績を残すだけという至上命令では、世界は変わらない。
牛耳るのはだれだ。悪いものも、この世の中には、必要なのだという論理もどこかおかしいが、現実は矛盾しているのが、普通なのだ。整然としているのは、バーチャルの世界のことだ。
スポーツは世界を変える・・・・。これは才能に恵まれ、チャンスに恵まれ、自己管理のできる天才だけにできることだろうと私は考えている。すべて崩壊はその成功が元になる。独裁者も崩壊の道を、みずから隣国の艦船破壊で、歩むことを選ぶしか、世界の目を一時でも引き付けることはもうなくなったのだ。
何かとても悲しい気持ちになるのは、私だけだろうか。ノレンに腕押しというのではなく、ちょっと気を許して同情すると、そこには雨あられの猛攻撃が待っているのだ・・・。ルールはないのだ。無慈悲に行動するとは・・・。
スポーツからルールをなくすと宣言したようなものだろう・・・。
結局、今のままではスポーツもビジネスのひとつとしてしぼんでいくだけではないか・・・。
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