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息ぐるしさを感じよう

あえて言おう。

人はいつも息ぐるしいものだ。だって、呼吸をしなければ、生きていけない。だからいつもその空気のことを心身ともに気にしているのだ。

空気が不足すると体は、すぐに反応する。

潜水をすると水中では空気がないから、息ができない。

そこで、ひとはアクララングという人工の肺をつくった。水中で活動できるようになった。素潜りではなく、ほぼ陸上と同じように活動できる。浮力があるから、動きは魚そのものだ。

息苦しさに圧倒されそうになるのだが、潜ることはそんな懸念を引き払ってくれる。でも、それは陸上とは違うのだ。水圧があって、体にいろいろな変化をもたらす。もっともいい変化もあるが、マイナスものが多い。

だから、そういう息苦しさがあるこの社会でも、何かプラスになるものがあるのだ。

その誰もが感じる息ぐるしさの中に人生が隠れているともいう。そこから、ひとは息苦しさの正体を自分なりに掴みとり、小説を書いたり、いろいろなものを創作していくことができる。

そういう息ぐるしさに踏み倒されることもある。でも、そういう時はさらに耐えうるものになって跳ね返るものが、このわれわれの心身には備わっている。

そこで踏み倒されても、それはまたひとつの人生だと言える。大切な人生だと私は想うのだ。

なぜならば、一人の人間が体験できる人生はひとつしかない。だから、ほかのひとの人生は、みんなの宝物だといえると私は想うのだ。

息ぐるしさを感じて、そこからなにかをつくりだそう。みんなのためにそういうことを発表していこうではないか。

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