党首であり閣僚ならどっちが主体か・・・
二重人格にならざるを得ないのだ。政治家とは、決してプロというわけではないだろう。すべてに精通しているわけはないのだ。
日本にとって少子高齢化は、あまり大切ではない問題のようだ。
仲間ですと、言っては鬼が笑うだろう。
みんながわかっていたことだ。村山政権の反省を踏まえたならば、連立なんて無理なのだ。主導権を握っているなら、いざ知らず。弱小のままで、政権内に入ったのが間違いだろう。
それも党首が自ら入閣するなんておかしいのだ。自分の政党政権ならいいのだが、自由にならない立場での党首の参加なんていうのは、初めからおかしいのだ。
どっちが主体ということだ。
だれかが犠牲になる。それは仕方がない。なぜ若い人たちが南の国々で死んでいったのか。そんなことを思うと、胸が熱くなる・・・。
党首であり閣僚なら、やはり対局を考えて判断にしたがうことが必要ではないのか。人気取りだけの政策なら、底は透けている・・・。
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