華やかさの中にあるもの・・・
世界が関心をもつのは、オリンピックでも野球でもなんでもない。それはサッカーだ。
いよいよ始まった。
華やかさの中にあって、いろいろな選手の苦労というか、生活が話題になる。
超一流選手とは何だろうか。もともと違う生物ではなかったのか。蹴る。球を転がしてゴールというネットにひっかけるだけだ。
それは、昔の子供が遊んでいいて、何かを蹴る能力が大きく、早く球を転がしながら誘導していても、なんら関心は持たれなかったのではないか。
時代とともに社会の商品価値が変わるし、ひとの能力という価値も変わる。
ただ変わらないのは、楽しさを求めるこころであろうか。スポーツはそういう心の快楽を与えてくれる。快と同じような字に反対の意味のある漢字があるという記事をみた。楽しまないことという意味だそうだ。快とは快楽の快であり、楽しむこころという意味だが、まったく逆の意味の言葉だそうだ。
似ていても、実はいろいろある。
華やかさの中にヒトは一生をかけてもたどり着けないものがあるのだが、それのひとつがワールドカップではないのか。へたくそチームと非難されても、勝てないとか勝てるわけがないとか批判されても、実はそこにいるという事実がとても素晴らしいことなのだ。
だれもができないことのひとつだ。もし、私も才能があり、環境に恵まれるとか、そういう機会を得ていたなら、その場に立って、同じことを考えるのではないか。
普通のままで、ワールドカップを楽しみたかった。なぜ、変な才能に恵まれてしまったのかなんて想う選手はいないだろうか。もちろんそこに立てば、レギュラーというか出場メンバーに入ってプレーすることだ。それが目標だ。当然だということはない。世間での評判は通用しない。
一番わかっているのは周りにいる人たちだ。お互いの力量はわかるのだ。同じ仕事なら、すぐにわかるのがひとなのだ。だから、そこで協力できる。どうも苦手なところがあるようだと悟ったら、他者がそこを補うことができる。そうしないと、総合的な力としての結果が出てこないのだ。
華やかさの中に、個人ではどうしようもないことがある。チームの力というのはなんだろうか。そう考えると、そういう個人の力量では測れないものがあるから魅力的なのだと、知らされる気がする。
私は南アにいってみたいが、治安が問題だ。
観戦で命を落とすことがあっては・・・・なんて言っているようでは、本当のファンではないことがばれてしまう。
華やかさの中にある何か得体のしれない魅力にみんながこころを奪われている状態が一カ月続くということだ・・・・。
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