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やっぱり・・・

やっぱり、時間はすぎるようだ。

いくら長くても終わりはきそうだ。

いま、うごいている部品はいつか交換できるが、ひとのこころには予備の部品はない・・・。

この総合的な働きをどっか一部でも変えたら、それはちょっとちょっとであろう。違和感なんて感じないように細工されている部品でも機能に変化はあるだろう。微妙さがどんどん感じなくなるなんて耐えうるか・・・・。

今まで気にしてことが、もう関係なくなるなんていいのか・・・・。

やっぱり・・・、ひとはしぜんのままでいろいろと苦労したといいわけできるぐらいの骨とう品がいのではないか・・・。

いまさら、ちがうからだを提供すると言われても、それはちょっとお断りだ。いくら長くいきても、またいつかからだを取り換えるのだろう。それでは、このおれはなんなんだ・・・と地球の真ん中ではなく宇宙の真ん中できっと遠い将来、叫んでいるのではないか。

みんなが不死身のからだを手に入れたら、それも無償で提供されるなんていうなら、どんな世界になってしまうのだろうか。身分証明書は原産地証明付きの加工品のようになっているのではないか。

こころも改造部品で、芥川龍之介の文学の才能とか、織田信長の気性とかが加えられたりしているなんていうトレースができるようになっているのだろうか。アインシュタインの相対性理論なんか、子供の童話になっているのではないか。

サッカーのワールドカップなんて宇宙の昔の伝統の古臭い競技になっているのではないか・・・。面白味も何もない世界ではないか・・・。

でも、多分武力とか競技とかいうのは、ついて回るだろう。ほんのちょっとの差がつまりは、そういう世界でも優劣を決めるだろう。とすれば、そこでの能力を発揮することは、今の社会と基本的には同じかもしれない。何がそのグレードアップの基準になるのか。

優しさだろうか。愛だろうか。いや残虐さだろうか。適材適所という選別だろうか。

やっぱり、ヒューマンエラーの散らばっているこの社会が一番いいのかもしれない。

そう思わないだろうか・・・。

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