笑顔にあるもの・・・
笑顔は選挙に大勝したときに出てくるものらしい。
そして、かならず苦渋に満ちた顔が数年後にはある。
どうして、そんなシンプルなシミュレーションができないのだ。勝って兜の緒を締めよというのに、どうしてあんな笑顔がでるのだろうか。どうしようもなくうれしいということなのだろうか。勝ったら負けるという法則を忘れようとしてかのごとくみえる。
でも、かならず苦渋に満ちた顔が来るのだ。
国家財政が破たんして国際的信用を失うニホンが待っている。
だれが何を言おうとも、これは事実だ。
だったら、戦争で命をとられる前に、そういう状況を改善しよう。食べません、戦に勝つまではなく、生活をつつましくして生き生きした人生を送ろうではないか。そうすることで贅沢を減らすのだ。必要のないことで比べても正直意味がない。そこに気付かない世代がいるらしい。
笑顔はいい。でもそれが一時しのぎの敗北者への哀れみの気持ちなのであれば、それは笑顔とは言えない。単なる嫌がらせでしかない。
世界の覇者のようにふるまう政治家がいた。中国に一大デリゲーションを率いていったひとがいた。私はすくなくとも嫌味を感じた。なんでそんなことをするのか。遣唐使、遣隋使とか大陸へのなんらかの想いがあるのだが、それは単なるデモンストレーションのようだった。自分の偉大さを見せびらかすというと表現がどぎついが、私にはそうしか感じなかった。
権力をもったものが遠慮している姿もまた、頼りなさ以外の何物でもない。
権力を追われたものは復讐をする。それは身内の方が餌食になりやすい。いや、そういう感情は甘えがあり、泥臭いものになりがちだ。
笑顔の裏にあるものは、それは思惑だろうか。期待だろうか。不安だろうか。いましかできない、今ならできるという甘えだろうか。
もっともっとしっかりとしてものを私たちは創り上げていく必要がある。
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