姿勢
体の姿勢がときどきよくないと言われると気になるものだ。
どうも背中が曲がり始めたのだろうか。
足腰が弱くなったいるし、姿勢はわくるなるし、もうだめかもしれない・・・。
なぜ、そう考えてしまうのか。
歳をとることは、だめな方向へと進む尺度でしかないと、あなたも想っているのではないだろうか。もちろんだれもがそう想い、姿勢を観ては、否定しつつも、肯定せざるを得ない日が迫っていることを確信してもいる。
でも、程度がある。これでも、あれでも、そこに行けばありがたいのだ。歩けることがうれしいのだ。走るなんて贅沢なことは言わないのだ。あんな歳でもまだそんなこともできる。そんな英雄がいる。天才かもしれない。
平均を生きられるというのはいいのだ。年齢相応の姿勢ならいい。十分だ。
そのためには、なにが要るか。
こころの姿勢だろう。宗教がその支えになるのだろうか。それとも何もなくとも大丈夫なのだろうか。こどものころ、おふくろはまだ40代後半ぐらいから死について地元の和尚さんのご詠歌講とかなんかでいろいろと語ってくれた。
お前が大人になって・・・、孫が・・・。さかんにそんなことを言っていたのを思い出す。でも、おふくろはそのときまだ40代だったのだ。
やはりこころの姿勢が違うのだろうか。寿命のせいだろうか。医学も健康診断も食事や栄養の知識もまだまだだったはずなのに、それはどんな偉い先生から訊くことよりも私の耳にはすんなりと入ってきた。
こどもはたからものだという声がその時々に聞こえてきたし、伝わってきたからであろうか。借金にいくオヤジの姿もしっている。明日は学校へもっていくお金がないから、借りる。そんなことがあるのだ。今でもあるだろう。
でもそこにあるのは、たからものの子供たちのためというメッセージがあるのだった。
姿勢をどう維持するかではないようだ。そういう身近だったひとの姿勢をこれからさらに伝えていかなければならないのだ。
そのためには、あまり堅くならないことだ。姿勢は姿形ではない。だから柔軟にしてしなり強くなくてはいけないのだ。
どうも最近すこし堅くなりがちな気がしてならない。これはたぶんにからだが堅くなってきているからかも・・・しれない。いいわけもしなくてはいけないか・・・。こころはまだまだ柔軟だといいたいのだろう・・・、きっとそうだ。
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