目的はなにか・・・
とにかく何をしたいのか・・・、そういうことを明確にすることだ。
失敗を恐れるなとかは言わないことだ。そんな一度で成功したなんていうのは、発展途中ということだ。資格とかいうと、語学が真っ先にでてくるのだが、どうだ。
話せるかどうか。聞き取れるかどうか。
理解できるのかどうかが問題だろう。もちろん、基礎的な学習もしないで話したいとか、コミュニケーションができますなんていっても、まったく意味がないのだ・・・。
流暢なことばでお話になる・・・。そんなことは必要ではない。自分の頭の中の考えをイメージできれば、そこに言葉はあまり重要ではなくなる。いや、おのれのコミュニケーション能力の問題ではない。優れたアイデアやイメージがなければ何もならないのだ。
果たして私たちはなにでイメージしているのだろうか。
言葉ではない。思想や文化でイメージしているのだ。
それらは共通のものだ。
くやしいとかうれしいとか、あいつには負けたくないといういう気持ちだ。
わかるだろう。それは決して言葉の違いではない。
目的は何か。スポーツも同じだ。
言葉は話せるようになる。でも稚拙だ。母国語でないと、違和感がでる。そういうものだ。
でも国際語は、てんでバラバラだ。地域によって方言がある。アクセントも発音もすべて違うのだ。もちろん意味も違うのだ。
常識が違うのだ。英国と米国の英語は違うだろう。
アジアの英語、アフリカの英語も違うだろう。
それらはでもすべて文化と伝統をもつ国々・地域での特徴でもある。
イマジネーションは国際的に共通のものだ。どんな内容なのかは、言葉ではない。そこにあるコンセプトでありイメージなのだ。
スポーツも同じだ。
考え方がプレーに表れる。それは、技術レベルが上がるほど、どんどんどんどん・・・変化するのだ。そういうものに触れられる環境がすなわちいいのだ。そういうものを構築していくのだ。
目的は何か。そういうものを創り上げることであり、そのバックグラウンドを認識することなのだ。
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