こころのうごき
心理学という学問がある。
あまり興味はなかった。
興味を持つとすると、何かに役立つとか、役立てるとかいうものになるから、好きになれないのだ。
でも、そうだろうか。
マインドコントロールは、あまり好感をもたれる言葉ではない。それは、今述べたような理由によるものだ。
そして、私たちは自分の中ではいつもマインドコントロールを行っている。
ここはどうする。バカにされないためには、こうすべきではないか。そんな声が聞こえる。無視する。もっと、あんたがしっかりしないとだめじゃないの…的なことを言われる。かっとする。無視する。
また、どうしていつも無視するのよ・・・、何にもできないのだから・・・。そして、そのあとにどんな言葉が続くのかわからない・・・。
堪忍袋の緒が切れる。爆発する。自滅するしかない・・・。でも、そんなことは日常茶飯事だ。どうする・・・。毎回同じ反応では疲れ切ってしまう。神経が擦り切れるとはよく言ったものだ。
こころのうごきは、ある程度シミュレーションができるのだ。でも、そんなことをして自分の気持ちがおさまらない。そんな用意周到さがもしあるとしても、そんなことはしたくない。そして現実にそんな姑息なことはしない・・・。
でも、心理学という学問ならば、できるかもしれない。
自分のことを棚にあげて、いろいろと心理学的に分析し研究するのだから・・・。すくなくとも自分のことではない。もし該当しても、それは事例でしかない。
こころのうごきは、いつもルーティンワークのように想う。
そのルーティンが回らなくなるのが、いくらつまらなくとも、あるだけいいのだ・・・。
こころの動きはそんなところにいつもめぐってくる。
そのためには、やはり誠実なこころだろう。そして、強い意志をもつことだろう。
だから、ちょっと目をつむり、屋根の上とか、天上とか、または月でもいいし、人工衛星のちっちゃなやつでもいいのだから、そこに意識をもっていって、自分をみてみることだ。こいつ何を想っているのか・・・。そんな意識が、全世界で飛び回っているとすると、どこかで衝突なんていう心配が・・・、そんなものはない。
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