注意深く見守る必要がある・・・
なんでこんな言葉を吐くのだろうか。
当然のことだ。
通貨政策がおかしいのだ。グローバル化の時代になぜ取引の価値をその自国通貨に戻さないといけないのだろうか。
言葉の問題よりももっと自由にできるはずではないのか。
ドル建てで取引をする。そういうシステムを政府が認めないから、通貨の国際化は進まないのだ。
ユーロがなんでできたのか。より広域の通貨があれば、そこで為替リスクがなくなる。より自由な形で取引ができる。
注意深く見守っても仕方がないのだ。自由に動きをまかせる、つまり市場に任せるといいながら介入もする。急激な変化はよくないからという理由だ。
もちろんだ。
もっと具体的にどうするのか。
一言でいうと、すぐに介入する・・・と言えばいいのだ。
そして具体的には95円だとでもいうのではないだろうか。これは、3月下旬の水準だ。そしてつづければいい。この辺が妥当な線だ・・・・と。
« 日本は政策レベルの決断がまったくない・・・ | トップページ | ブーム »
「心と体」カテゴリの記事
- 分かり易い文章(2019.02.09)
- 片べりの靴の教えてくれるもの(2019.02.04)
- 年齢に比例するもの・・・(2019.02.02)
- 散歩仲間?(2019.01.07)
- 本音と建て前(2018.11.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント