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蝕まれるこころは、いつまでも変わりはしないもの

まだまだ蝕まれる。

まだまだそんな干渉を受けているようだ。

その都度、落ち込んでいもいるようだ。

つまり変わっていないのだ。つまり、成長していないのだ。つまり、衰えてもいないのだ。

何らかの虫がやってくる。こころを蝕む虫だ。それはときに言葉だったり、仕打ちだったりする。年寄りにはこたえるのだ。言葉の暴力なんかが気の緩んだ時代に育ったやつらにはきつく思われるのだ。それは、私も同じだ。

でもまだ蝕まれても、そこに漂っているのだ。そして、さも何もなかったかのように元気はつらつにもなれるのだ。

ひとのこころは、まだまだついばむ虫たちがよってくるだけでも強くなれそうだ。いつまでも、そういう虫たちに食われているのは、いつまでも若く変わり映えしないということの証のようだ。

これって嬉しいことか・・・、それともバカにされているのか・・・・。

どっちでも、解説はいい。私は自分なりの解釈をするのだから、どっちでもいいのだ。

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